昔の文章に触れるということは、別に文学書でなくても、今の価値観で読むといろいろとおもしろいことがあるものです。
どこが面白いのかというと、今どきのようにやみくもに気を遣って差し障りのない安全なことだけを並べ立てるというウソっぽさがなく、発言そのものがもっと自由で、率直な考えとか物事の事情などがごく普通に述べられている点で、これひとつとっても時代を感じさせられます。
例えば25年前の雑誌「ショパン」を見ると、ピティナの創設者の方の談話が載っていて、そこにはピティナ=社団法人全日本ピアノ指導者協会がどのようにして創設されたのか、どういう事情があって今日のような組織が作られたかという経緯が述べられていました。
もともとはピアノ曲やピアノ学習者のための教材が、すべて海外からの輸入物によって占められていて日本人の手で書かれたものがないという点に疑問を感じ、日本の作曲家の作品を広く知らしめたいという思いが湧き上がったところへ同志が集まり、「東京音楽研究会」という邦人作品の研究団体としてスタートしたのだそうです。
その活動の一環として公開レッスンが始まり、さらにピアノゼミナールや演奏法や指導法の研究会がひらかれ、その研究会へ地方からわざわざ出てくる会員のために、今度は全国に研修の場として支部の枝が広がり、そのときに付けられた名前が「全日本ピアノ指導者協会」なのだそうです。
そんな中、ある時ショッキングな出来事があったというのです。
毎回研究会に参加される地方の先生の自宅へ、この方が招かれたときのこと。
そのお宅には素晴らしい設備が整い、グランドピアノが2台デンとあり、音楽書は本棚にぎっしり、レコードも大変な数があったといいます。
そこで、その先生の生徒さんがブルグミュラーの練習曲全25曲を暗譜で弾いてくれたらしいのですが、ミスリーディングの多さと奏法の未熟なことにショックを受け、毎回研究会に出席しているというだけでこの方は立派な先生だと感じていた自分がハッとした(つまり立派な先生じゃなかった)、ということが歯に衣きせぬ調子で堂々と書いてあるのです。
さらには、その生徒の演奏を見て、それまで自分が一生懸命続けてきた各種の公開セミナーはちっとも役に立っていなかったということを思い知ったともはっきり断じているのです。
こういうことは、今であれば、たとえ事実であっても個人を中傷するだのなんだのという理由から、絶対に書かれないことでしょうし、仮に書いたとしても編集部がマズイと判断して大幅な手直しに介入することでしょう。
果たして、誰から文句のでない、読んでも甚だ面白味のない、パンチに欠ける文章でしかなくなりますし、当然ながらナマな真実性もありません。
何事も昔は率直で迫力があったんだなあと思います。
先の話を続けると、それがきっかけとなって、「同じ課題曲を、同じ位の子どもたちによってコンクールを開催することが、最も先生の実力向上につながる」という結論に達して、はじめはオーディションという名前で始まって、それが発展してあのお馴染みのピティナのピアノコンペティションに成長していくのだそうです。
意外だったのは、このコンクール、もともとは生徒を指導する「先生の実力向上が目的」だったということで、今も基本理念はそうなのかもしれませんが、マロニエ君はピティナとは名前を聞くだけで、自分自身は一切関わりを持ったことがなかったので、このような経緯ははじめて知りました。
つまりピティナのコンクールは、「生徒が先生の代理で戦っている」ということになるのかもしれませんね。
まあそうだとしても、結果としてそれで生徒が立派に育つのであれば何をか言わんやですが。