電話中の車

世の中には、どんなに厳しく言われてもなくならないことは沢山ありますが、最近の交通関係でいうと、飲酒運転と運転中の携帯電話の使用ではないかと思います。

まあ、飲酒運転に関しては限りなく犯罪と同等の行為ですから論外としても、携帯でしゃべりながら運転している人って、どうしていまだにこんなに多いのかと思います。

かくいうマロニエ君とて身に覚えはありますし、事実むかしはときどきやっていましたが、そのときの自分の経験で言っても、あれは確かにどうしようもなく注意が散漫になり、運転が疎かになるのは事実です。
さすがにその害悪を自分で感じてたことと、さらにはこの行為は検挙の対象ともなり、それできっぱりしなくなりました。

運転中の通話など、いったん決心さえすればなんてことなく止められることなのに、その数があまりに多いのと、中には走りながらメールを打っている強者までいるのには呆れます。

最近では車の動きや雰囲気でだんだんそれだと見分けるのが上手くなり、見るなりピンと来るまでになりました。
警察官がよく「鼻が利く」などと言いますが、それはよくわかるような気がしていて、マロニエ君もちょっと鼻が利くようになってきたということかもしれません。
いわゆる、ポイントはちょっとした気配が問題なのであって、ある表現で言うなら、車の動きに腰がないわけです。
膝を曲げてふわふわ歩く人のように、車の姿勢にどうしようもなく安定感と意志がない。

酒酔いではないから、さすがにフラフラと蛇行まではしていませんが、車の動きが消極的で、周囲の交通状況に対して非協調的、なんというか空気が読めない人と同じくその流れの中でポッと浮いているわけです。

それはただ普通に交通の流れに沿って走っているだけでもわかるのですから、やはりちょっとしたことというのは思った以上に外目に出るのだなあと思います。
ピアノリサイタルなどに行っても、この人は今本気で弾いていないとか、聴衆をナメているとか、主催者から乞われて不本意にこの曲を弾いているな、というような心のありようが当人の予想以上にバレてしまっているのと同じですね。

意味もないほど車間距離をあけたり、右左折が無意味なほどゆっくりだったりするのはだいたい携帯を使っており、どれもに共通するのはドライバーが運転は二の次で、別のことに心を奪われているというのが、見事にその動きに出てしまうものです。

こうして考えていくと、自然な車の動きというのは、要するに小さな反応の連鎖だと思います。
まるで自分の意志がないかのような動きをするのは、その小さな動きに出るようで、それがひとつではわからなくても2つ3つと重なっていくうちに、これはおかしいと周りに察知されてしまうのだと思います。

マロニエ君みたいな素人でも最近ではかなり的中率は高いので、プロの警官なら朝飯前でしょう。
以前は、警察密着型のようなテレビ番組で、歓楽街でパトロール中、ふっと視界に入っただけであの車は怪しいなどとベテラン捜査官の勘が働くというのを聞いて、はじめはたいそう感心していましたが、携帯使用中の車がわかるようになってからというもの、そりゃあプロが本気で毎日やっていれば、犯罪の臭いを嗅ぎ分けるべく直感が磨かれていくのは当然だろうと思います。

逆にいえば、それをごまかすことのほうがよほど高等技術で、そんな技巧を磨くより、運転中電話なんぞしないほうがどれだけ安易で楽なことかと思います。

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