華麗なるピアニスト?

先週からBSプレミアムで「NHK音楽祭2011 華麗なるピアニストたちの競演」というのをやっています。

この秋に招聘された5人のピアニストによるコンチェルトが紹介されるようで、第一週はボリス・ベレゾフスキーとシプリアン・カツァリスが放映され、その録画を見てみました。

ベレゾフスキーはリストの第1協奏曲を弾きましたが、率直に言ってなんとも粗っぽいだけの演奏で、以前ラ・フォル・ジュルネでショパンの第1協奏曲を弾くのを見て、その大味さにがっかりした記憶が蘇りました。
あのロシアの大男の体格がなにもピアノの音の表現力の幅や豊かさとして役立っておらず、とても一流とはいいかねる雑なだけの演奏でした。これはベレゾフスキー自身の気質からくるものとしか思えないほど、音楽の大事なところをバンバン外れて通過してしまっている、いいところが少しも感じられない演奏でしたね。
そのくせパワーだけは出そうと、第4楽章などは汗みずくになって力演していましたが、この人の魅力がなへんにあるのか、ついにはわからないまま終わりました。
むしろ良かったのはアンコールで弾いたチャイコフスキーの四季から10月で、さすがにロシアの小品などを弾かせると、動物的に大暴れできるところもなく、その静やかなロシア的な旋律がそこはかとない哀愁を帯びて、このときばかりはチャイコフスキーの音楽が聞こえてきたようでした。

カツァリスはモーツァルトの21番の協奏曲ですが、これがまたなんの感銘も得られない表面的なチャラチャラした演奏で、この日はほとほと不満が続きました。この人はもともとマロニエ君にはかなり苦手なピアニストなのですが、やはり指先だけの技術を見せよう見せようと、終始そればかりに腐心しているようで、音楽の内容という面ではまったくの空白という印象でした。
この頃になると、もうすっかり疲れてしまって、最後まで見通すこともできませんでした。
カツァリスはもともと大道芸人のようなピアニストで、マロニエ君は彼を一度も芸術家とは思ったことはありませんが、その彼も寄る年波か、そのサーカス的な指芸にも翳りが見えてきたようでした。
唯一、彼の存在理由を挙げるとしたら、彼はなかなかのピアノマニアらしく、いろいろなピアノを使ってCDなどを作ってくれている点です。ただし、その演奏がこの人自身なので興味も半減ですが。

なつかしかったのはモーツァルトでは御大ネヴィル・マリナーの指揮だったことですが、彼が振ると普段は愛想のないN響でもマリナーのあの馴染みやすい甘い音色になり、流麗で華やかな流れに乗ったモーツァルトが流れ出すのはさすがでした。ちなみに映画『アマデウス』で使われた演奏の指揮をしたのもこのマリナーですが、この巨匠もずいぶんお年を召したようでした。

ピアニストに話を戻すと、こんな二人を呼ぶぐらいなら、日本にはどれだけ素晴らしいピアニストがいることかと思われて、その中途半端に派手さを狙った企画そのものが残念です。おそらくは真の音楽的な価値よりも、海外の有名どころの顔と名前をズラリと並べるほうがウケるということなのかもしれませんが、もうそろそろ日本人も「舶来上等」の思い込みを捨てたらどうかと思います。
それには聴衆も知名度だけに頼らず、輸入物の粗悪品では満足しないという成熟が必要ですが。

現に工業製品などでは、いまや日本製であることが内外でも特別な価値であることが認識されつつあるのですから、外国人をむやみに有り難がらずに、良い音楽を求めるという方向に向いて欲しいものだと思います。
とりわけ日本は上記の二人のような演奏が通用する音楽市場ではあってほしくないと思いました。

ちなみにカツァリスはヤマハのCFXを弾きましたが、モーツァルトのような小ぶりな曲を弾くには、なかなか繊細で品位のある音色で鳴るピアノでした。

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