鈍感は病気

ちょっと思いがけない話を聞いて、なるほど!と思いました。

ある人が人間の神経のありようを書いた本(どんなものか知りませんが)を読んでいると、俗に言う「鈍感な人」というのは、多少は性格的なものもあるにしても、専門的に見れば「病気」なのだそうです。

あまりにも神経過敏で、いつも気分がピリピリ張りつめているのも、これはこれで一種の病気でいけませんが、その逆も然りで、周りに迷惑とストレスを撒き散らします。
何事も過不足なくあらねばならないというわけでしょう。
神経過敏の真逆に位置する鈍感は、本来あるべき神経がスポッと抜け落ちているのだそうで、これは手の打ちようがない。

どちらかというと神経の細いほうのマロニエ君としては、一線を越えた鈍感な人は、眼前に立ちはだかる分厚い壁のように圧迫を感じて苦手です。
そしてこの世に「感じないということほど強いものはない」と思うに至っていますが、本当にそれは最高に無敵です。なんといっても本人は至って平穏で、かつそれがもっとも楽で自然な状態なんですから。

裏を返せば「感じる」ということは、これほど弱くて疲れるものもないわけです。

この鈍感な中にも比較的無害なタイプもあるとは思いますが、経験的に大半は有害です。
日常のなんでもない場面で、この鈍感さの仕業によってエッ?と思うようなことを次々に言ったりします。はじめはイヤミでも言われているのかと思いましたが、どう見てもその様子にこれという意志や悪意はなく、ごく自然に無邪気に言っていることがわかり、安心するような、よけい疲れるような…。

なにしろ本人に悪意や自覚がないもんだから、ずんずん無遠慮に踏み込んでくるし、そこには用心もためらいもブレーキも効かない。そればかりか、どうかするとむしろ大真面目だったりする。
はじめは、よほど田舎の出だろうかとも疑ったりしますが、出身地などをさりげなく聞いてみてもさにあらずで、…やはりただの性格だろうかと思うしかありません。
どうも、いろんな折にあれこれと軋轢を生んでいるらしく、そりゃあそうだろう!と思いますが、それを言うわけにもいきません。

こういう人達は、普通の社会人なら自然的にコントロールするようなことでも、それができないため、すぐに言動に地が出てしまいます。本人は普通の振る舞いのつもりでも、相手はかなりストレスを受けたりする。
場合によっては、馬鹿話や冗談さえも通じず、まったくちがうニュアンスに捉えたりするため、呆然とすることしばしばで、こういう人の前ではうかうかおもしろい会話もできません。

いらいそのタイプの人と接触するときは、こちらが注意するべく身構えるようになりましたが、それがつまり病気なんだと思うと、一気に納得したというか、少し気が楽になったような感じもします。
必要な神経の一部が欠落欠損しているということになれば、それをひとつのハンディと見て接することもできるかもしれません。

ただし、精神領域の難しいところは、表向きはごく普通の健康な人ですから、そういう人にハンディの認識を持つということは理屈で言うほど簡単ではないのです。
言葉はそれ自体が意味を持ち、人はその言葉に反応するから、思わずその意味で受け止めてしまうわけで、それを度外視して、受け止める側の内面で処理をするのは、現実は難しいだろうと思います。

しかし、それでも「病気」だという認識は、ムッと来たときのひとつの自分なりの逃げ道が出来たようで、ないよりマシかとは思います。

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