ピリスの証言

マロニエ君の部屋のNo.70で書いた「フランスの好み」に関連することで、興味深い文章を目にしました。

たまたま手に取った2年ほど前の音楽の友ですが、その中にマリア・ジョアン・ピリスのインタビュー記事があり、このころ彼女は「後期ショパン作品集」をCDリリースしたばかりの時期でした。
ピリスは以前からヤマハを好んで弾くピアニストの一人であるにもかかわらず、その最新のCDはどういうわけかスタインウェイで録音されており、とくにスタインウェイが好みじゃないということでもないようです。
そして、ヤマハとスタインウェイは、状況によって使い分けているといった印象を受けました。

インタビューでは自分がコンサートに使用するピアノのことにも触れられていましたが、それによると、やはり…と思わせられるのは、ヨーロッパは本当に状態の悪いピアノが多いのだそうで、それは楽器を持ち歩くことのできないピアニストにとっては尽きない悩みであり、頭の痛い問題であるようでした。
とりわけ小柄で手の小さなピリスの場合、状態の悪いピアノと格闘することは普通のピアニスト以上の苦痛の種になるようです。

ヤマハがとくに高い評価を得ているらしいと推察できるコメントとしては、そんなヨーロッパでは調律師の存在がひじょうに大きく、ヤマハは素晴らしいテクニシャンを擁しているから、この点で頼りにしているということでした。
やはり日本人調律師のレベルは世界第一級のようですし、同時に痒いところに手が届くようなサービスで顧客の評価を高めるやり方は、いかにも日本人的なやり方だと思われました。

面白い意見だったのは、日本でのコンサートでは、ホールのアコースティックがとても素晴らしいので、ヤマハのピアノを好んで使っているのだそうで、ヤマハで何も問題を感じないと発言しているわけですが、その微妙なニュアンスが印象的でした。

それに対して、ヨーロッパのホールはアコースティックがひじょうに悪い会場が多いのだそうで、そういう場所ではより大きな音の出るスタインウェイを使わざるを得ないということをはっきり言っています。
これはつまり、ヤマハは好ましいし技術者も素晴らしいが、たくましさがないということになるのでしょうか。

ピリスは今年のメンデルスゾーン音楽祭でも、ベートーヴェンの第3協奏曲をシャイー指揮のゲヴァントハウス管弦楽団と弾いていますが、ピアノはまたもスタインウェイを使っていました。

少なくともピリスほどのヤマハ愛好者でも、コンサートやレコーディングの現場ではまだ全面的な信頼は寄せていないということのようにも読み取れます。
ヤマハのコンサートグランド(すくなくともCFIIISまで)はこぢんまりとした美しさはあるのの、スタインウェイのようなスケール感や壮麗な音響特性はもうひとつ不足するのでしょう。
同時に、ヤマハを好むフランス人などの演奏を聴いていると、スタインウェイの音色ではときにあまりにも絢爛としすぎて、楽曲や演奏の内面に潜む綾のような部分を描き出すような場面で、やや派手すぎると感じる局面があることもわかるのです。
このことは、オールマイティを誇るスタインウェイの特性の中で、数少ない欠点と言うべき部分なのかもしれません。

音楽を大きく壮麗に語りたい場面、あるいは音響的で強い表現を求める場面では、スタインウェイは他の追従を許さない名器ですが、逆に、華奢で傷つきやすい、私的心情をこまやかに表現したい向きには、日本の製品のもつきめの細かさが有利となるのかもしれません。

ピリスの証言」への1件のフィードバック

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    こんにちは、突然コメントを残してすみません。私は海外の大学院でクラシック音楽を専攻している者です。現在大学院のエッセイの課題で、ピリスについて書いています。もし宜しければ、こちらの記事に書かれてある、音楽の友が何年の何月号であったか、教えて頂けたら大変有難いです。不躾なお願いで申し訳ありません。

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