遅かりし発見

調律師の方がピアノの調整に来宅された折り、思いがけなくCDを頂戴しました。

この方は、さるドイツのヴァイオリニストのリサイタルのときに使われたピアノの調律の見事さに、マロニエ君がいたく感激してしまい、どなたかを辿って特約店へ問い合わせて、めでたくご紹介をいただき、ついに我が家へ来ていただく事となって、この日は2回目の調整でした。

この方はコンサートの仕事が多いようで、いただいたCDのピアノもこの方の調律によるものです。

ヴァイオリンは豊嶋泰嗣さん、ピアノは美輪郁さんというコンビで、クライスラー、サンサーンス、ガーシュウィン、コルンゴルト、シマノフスキほか、多彩な作品が収められたCDです。
レーベルはEXTONというCD店でもよく見かけるものです。

はじめは音を出さない作業なので、よかったらかけてみてくださいと言われ、さっそく新品のセロハンを切って真新しいディスクをプレーヤーにのせてみました。
冒頭の曲はクライスラーのギターナ(ジプシーの女)でしたが、いきなり飛び出してきたその張りのある艶やかな音、腰のすわった技巧の上に広がる大胆かつしなやかなその演奏にはホォ…と驚きました。それはまさに一流プレーヤーにしか出せない磨かれた音だったのです。本当にいい演奏、いいCDというのは、極端な言い方をすると聴いた瞬間にわかると言っても過言ではありません。

ピアノの美輪郁さんがこれまたヴァイオリンをしっかりと支えた素晴らしい演奏で、曲への理解も深く、出過ぎず隠れすぎずの、まさに理想的なピアノでした。

そしてさらにそのピアノの音はというと、以前ホールで聴いた正にあのピアノだったのです。
といっても同じピアノというわけではなく、会場もピアノもまったく別のものですが、その調律がまったく同じで、その時の記憶がたちまち蘇りました。
それほど調律には個性と、形と、技術者の音に対する志向や価値観が色濃く投影されているものであって、それはでもまったく別のピアノ(メーカーは同じ)であるにもかかわらず、以前の記憶といま目の前で聴いている音が、ピタリと一致するという不思議な体験でした。

ところで、豊嶋泰嗣さんという方は、ずいぶん前から九州交響楽団のコンサートマスターをされていて、お名前と存在はよく知っていましたが、肝心の演奏にはほとんど触れたことがありませんでした。
一度だけ、ずいぶん前にいろんな奏者が出演するドビュッシーだけのコンサートがあり、2台のピアノやらチェロなどあれこれとプログラムされていた中、最後のトリをこの豊嶋氏率いる4人が弦楽四重奏を演奏したことがあり、そこで目のさめるような集中力と音楽の勢いにハッとして聴き入った覚えがあったぐらいでした。

マロニエ君はそもそもオーケストラのコンサートマスターをやっていた人のソロというのは昔からどうにも好きになれず、ソロとコンマスは同じヴァイオリンを抱えても、そこには埋めがたい隔たりがあるというのが自分なりの認識でしたから、豊嶋氏の演奏にもその先入観からこれまでなんの興味もなく、したがってこれという演奏を聴いたこともありませんでした。

そこへ突如として降って湧いたようなこのCDの素晴らしさはどうでしょう! 
軸がしっかりしていてパワーもあり、繊細な表現も見事にこなしながらさまざまな性格の多種多様な曲を次々に鮮やかに聴かせていく手腕は、まさに目からウロコでした。

ながらく九響のコンマスであったが故に、マロニエ君にとっては却って灯台もと暗しとなったのは、ただただ自分の不明を恥じるばかりでした。
なんの誇張もなしに、この人は世界で通用する器を持った人だと思いました。
聴いてみたいと思ったときには、豊嶋氏はもう福岡にはおられず、ああ、なんたる事かと思うばかりです。

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