横山幸雄のプレイエルによるショパンピアノ独奏曲全曲集は、7/8/9巻が発売されいよいよパリ時代の佳境に入りました。
正直いってこういう全集は一括してならまだしも、順次発売されていくのは、途中で気分がダレてくるときもあるものです。
他に欲しいCDもあるのに、店頭で目に入れば、途中で打ち止めにする決意をしない限り購入し続けなければなりませんし、正直気分も常にそちらを向いているわけではないので、あぁ…とため息が出たりもするのですが、まあ乗りかかった舟ですから、気を取り直して購入しました。
それに全集物などは、キチッと揃っていなければ気の済まないマロニエ君の性格もありますし。
横山氏のピアノはあいかわらず安定した仕事というべきで、確かな平均値を保持した演奏が続いています。
もちろんその中にも僅かな出来不出来はあるわけだし、マロニエ君の好みに合うものと合わないものがあれこれと含まれますが、概ね一貫した足取りで着実に録音が進められているのは大したものだと思います。
今回の発売分の中には有名な「幻想即興曲」が含まれているのですが、この曲はあまりにも有名で、ショパン本人が友人に破棄するように頼んでおいたといわれるほど本人も満足できない作品だったという話もありますが、結果的には超有名曲になってしまっています。
そのせいか、いまさらこれをCDで進んで聴こうという気にもなれない人も多いはずです。
ところが、横山氏はこの幻想即興曲を、かつて聴いたことがないほど見事に弾いています。
あの特徴的なオクターブに続いて開始される左手のアルペジョの上に、まるで一塵の風が吹くように右手の細やかな旋律が流麗に乗ってきます。
テンポもやや早めで、繊細で、軽やかでしかも劇的、ショパンが着想したときにはこのようなイメージを頭の中に思い浮かべたのだろうと思われるような素晴らしく際立った演奏でした。
旋律はまるで波打つ線のように、グリッサンドのようにうねりながら深い悲しみを露わにします。
これまでに聴いたどの演奏よりも秀でた理想的なもので、この歳にして、はじめてこの曲の真価がわかったようで、これ一曲でも買った甲斐があったというものです。
スケルツォの2番などもなかなかの秀演。
横山氏の演奏にはどうかするとドライで情緒不足に感じるものも少なくないのですが、たまにこういう大当たりがあって、そういうときは非情に嬉しくなるものですし、やはり大した潜在力をもったピアニストだなあと感心してしまいます。
こういう傑出した演奏をいっぽうで支えているのがプレイエルの音で、まさにこれは音色・奏法ともにフランスのショパンであり、ポーランドのそれとは大いに趣が違うところが注目すべき点でもあります。
また「ん?」と気が付いたことは、このあたりになってくとピアノ音に明らかな変化が起こってきていることです。
以前に何度か書いたことがありましたが、このピアノはスタート時から舌を巻くほどに素晴らしく調整されていたのですが、そのあまりに巧緻な水も漏らさぬ調整が、この100年も前のプレイエルに相応しいものかという点ではいささか疑問の余地があったのです。
それがだんだんとほぐれてきたというか、本来のプレイエルのトーンをやや取り戻してきている気がするのは嬉しい発見でした。おそらく調律の観点が変わってきたのではと思われるのですが、以前に見られた完璧主義みたいな気負いが取れて、より自由に歌うプレイエルに近づいてきたようで、この点も好ましい限りです。