アンデルジェフスキ

話題のピアニスト、ピョートル・アンデルジェフスキが4年前にワルシャワのフィルハーモニーホールで行ったリサイタルの様子を映像で見ました。

曲目はバッハのパルティータの第2番と第1番がプログラムの最初と最後にあって、その間にシマノフスキの仮面劇とシューマンのフモレスケが置かれるという、なかなか個性あふれる異色なものです。

はじめのパルティータ第2番は期待に反してちょっと同意しかねるところの多い演奏で、アンデルジェフスキとはこんなものかとやや落胆しました。演奏家としてやりたいことがあるらしいのはわかるのですが、それがちっとも形になっておらず、完成度がなく、ただあまりに作為的なバッハがそこにあるだけという印象でした。

普通はこういうスタートになると続きを見るのが億劫になるものですが、シマノフスキの仮面はぜひ聴いてみたい曲だったこともあり、とりあえずもう少し我慢して聴いてみることにしました。
すると、いきなりこの人の演奏と作品に一体感が生まれてきて、しかも非常に大きな演奏をするので、思わずこちらのだらけていた体の姿勢まで変わりました。

仮面はシマノフスキの代表的なピアノ曲で、作品としては中期のものです。一般にはスクリャービンやドビュッシーなどに繋がる作風といわれることもあるようですが、リアルな描写性に満ちたそれは幻想的な要素に拘泥していないという点でもシマノフスキ独特なものだと思います。

アンデルジェフスキの演奏からは、なにかムンムンと濃密なものが伝わってくるようで、その逞しいスケール感あふれる演奏には圧倒されっぱなしで、彼の本領はこういうものにあるということを象徴的に示されたようでしたし、では…はじめのバッハはなんだったのだろうと思いました。
続くシューマンのフモレスケも同様の印象で、このとらえどころのない断片の寄せ集めみたいな作品を、実に見事な構造体として重量感をもって描ききったことは、アンデルジェフスキというピアニストの特異な才能を生々しく見せつけられたようでした。
ときにテンポは極限的に遅くなるなど、アゴーギクなども思う存分に揺れ動いて、普通なら容認できないようなところもあるのですが、彼なりの思惑と道筋がしっかりと通っているために、演奏として破綻せず、それはそれで納得させられてしまうのは大した才能だと思います。

アンデルジェフスキの演奏の魅力は、ありきたりな作品解釈の再現ではなく、あくまで彼が綿密に設計した演奏形態の中に作品を落とし込んだ後の結果を聴かされるところにあり、ときには彼のエゴイスティックな部分を含めて、これに身を委ねるところに、このピアニストを聴く、本質的な意味があるのだろうと思います。

もっとも印象的だったのは、現代では指だけはめっぽう回る無個性なピアニストが多い中で、彼は非常に自我の強い、時に傲慢ともいえるような個性的な芸術家であるという点でした。
標準的解釈というものにがんじがらめになり、あくまでも作品から自分の感じ取ったものを表出させるという演奏家本来の使命にさえも異常なまでに臆病な演奏者が多い中、彼ほどそれを恐れず赤裸々に表現してくるピアニストであり、これは時代的にもきわめて稀有な存在だと言えるでしょう。
音楽をとても大きなところから捉えて、それを臆することなく泰然と表現しようという点でも、彼はともかくも大器だと思いました。

ひ弱な演奏が目立つなか、ピアノを非情に力強く男性的に鳴らし切る点においても傑出しており、とりわけこの人の左手の強靱さは目を見張るものがあると思いました。
左があれだけ逞しいことも、音楽のスケール感をいっそう大きくしているのだろうと思われます。

最後に弾いたバッハのパルティータ第1番は、はじめの第2番よりもよほど素晴らしい演奏で、やはり興が乗って、彼の個性とバッハの作品とのピントが合ってきたのだろうと思われました。
久々に聴くに値するものを聴いたという意味に於いて満腹できました。

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