キーシンの選択?

NHK音楽祭2011「華麗なるピアニストたちの競演」の第4回目は、このシリーズ中最大のスターであるエフゲーニ・キーシンをソリストに迎えるに至りました。

オーケストラはシドニー交響楽団で、指揮はアシュケナージですから、ロシアが生んだ偉大なピアニスト二人が同じ舞台に立つという豪華な顔ぶれであることは間違いありません。
曲目はキーシンが12歳で衝撃的なデビューをしたときに弾いたショパンのピアノ協奏曲第1番。

実はこのキーシン、アシュケナージ、シドニー響、ショパンの1番というのは、過日福岡でもやったのですが、これは一種の勘働きというのでしょうか…さほど意欲が湧かなかったので行かなかったぶん、こうしてテレビで見られるのはいかにも得をした気分でもあります。

尤も、会場はどんな名人・名演をもってしても虚しく音の散ってしまう神南のNHKホールなので、それほどの期待は出来ませんが、まあそれでも片鱗ぐらいはわかるというものです。

紅白歌合戦かと思うようなけばけばしい衣装に身を包んだ男女による、わざとらしくもNHK的な解説部分を早回しして、ステージの映像が映ったとき、いきなり「んん!?」と思いました。
オーケストラを従えるようにステージ中央に置かれたスタインウェイは、ずいぶん古いピアノであることが一目見てわかりました。年代的にいうと映像から判断する限りでは、おそらく20数年〜30年近く前のハンブルク製で、ボディはもちろん当時主流だった黒の艶消し、鍵盤は象牙で遠目にもホワイトニングしたくなるほど黄ばんでいます。

NHKホールぐらいになれば、当然新しいピアノも複数台揃っているはずですが、わざわざこんな古いピアノを引っぱりだしてきたということは、マロニエ君の想像ですが、裏方で練習用などに使われているピアノを弾いて、キーシンがそれを本番で使うことを望んだという以外に考えられません。

マロニエ君もこの年代のスタインウェイはとても好ましく思っているので、さすがはキーシン、ピアノがわかっているなぁ…とはじめは感心したものです。ところが長い序奏を経ていよいよピアノが入ってくると、あれっ?と気分はいきなりコケてしまいました。
中音域などがまるで音になっていないというか、鳴りというにはほど遠い貧弱な音なのです。
いかにもくたびれた感じの、どうかすると昔のピアノフォルテみたいな痩せ細った音だったのはひとたび高まった期待を大いに裏切られました。

これはきっと、新しいピアノの導入によって第一線から退いたピアノが、裏方の練習用などに格下げされてその後もかなり酷使された楽器だろうと思います。
ある程度使われたピアノはオーバーホールなどをすることで充分復活するものですが、そのためにはまとまったコストもかかるし、引退したピアノにそこまでの手間とコストをかけることはされないまま、ただ使われる一方だった楽器を、キーシンが突如「これを弾く」と言い出したに違いありません。

さぞかし技術者などは驚いたことでしょうが、世界のキーシンがそういうのですから仕方なかったのだと思われます。聴いた限りでは、とくに弦の賞味期限などがとっくに終わっているという感じでしたが、それでも低音部などからときおり聞こえてくる鐘を鳴らしたような深くてつややかな音は、今のスタインウェイが失ったものだと思いました。

キーシンの演奏はもちろんその名声に相応しいレヴェルがあったのは言うまでもありませんが、第1楽章などはもうひとつで、この人の昔から癖なのですが、オーケストラとのアンサンブルにはどこか馴染まないものがありました。このへんはどんなに歳を重ね、経験を積んでも一向に直らないようです。
むしろ第2/3楽章のほうがよかったと思いました。

とりわけ右手に単旋律を歌わせるようなときのキーシン節は健在で、こういうときの天使の声のような歌謡性は聴く者の心に染み入るものがあります。
さらには全体に貫かれた気品と華やかさは、キーシンが子供のころから持っている彼の演奏の本質だと思います。

アンコールはスケルツォの2番と子犬のワルツ。
昔とちっとも変わっていない、この人らしい美しいところと幼稚なところが交錯する、それでいて非常に充実感のある魅力にあふれた演奏でした。

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