このヴァイオリニストの名前を耳にしたのは、6年前の2005年に若干16歳でロン・ティボー国際コンクールで第2位に入賞したというニュースを聞いたときでした。
そのときは北九州市出身ということで、同じ県ということもあり、身近に素晴らしい才能が出たのだなあとということぐらいで、特にその後はこの人の演奏を聴く機会もないまま時は過ぎていきました。
コンサートのチラシで見た記憶のある、清楚な感じの可愛らしい少女の顔と、いかにもその名前が音楽家になるために仕向けられたようで、こういう組み合わせはマロニエ君はちょっと白けるほうで、逆にあまり興味をそそられることがなくなってしまうのが正直なところでした。
もちろんロン・ティボーで第2位というのは大変な成績ですが、演奏家として本格的に楽壇にデビューするのなら、それぐらいの才能は当たり前だし、昔とは違って日本人も海外の有名コンクールに上位入賞することはさほど珍しいものではなくなっていましたから、まあそのうち聴くことがあるだろうぐらいに思っていました。
最近ではCDが発売されて、すっかり大人っぽくなったジャケットの顔写真を見かけることはありましたが、わざわざ購入する動機ももうひとつなく、その後も演奏を聴くチャンスはありませんでした。
ところがごく最近、それは思わぬところから思わぬ曲目でふってきました。
NHKのクラシック倶楽部で、今年の8月に神奈川のフィリアホールで収録されたばかりの「南紫音ヴァイオリン・リサイタル」が放映されたのです。しかも曲目は驚くなかれ、すべてイザイの無伴奏ヴァイオリン・ソナタで、1、2、4、6番となっているのは、我が目を疑うというか、このいかにも強気で挑戦的なプログラムには思わずびっくりました。
イザイの無伴奏ヴァイオリン・ソナタはバッハの無伴奏ソナタ/パルティータと並んで、マロニエ君が最も好きなヴァイオリンの作品のひとつですが、ピアノにもこういう作品があればと思うほどの、暗い情念の渦巻く狂気スレスレのところでほとばしる大人のための音楽。よくコンクールの課題曲にはなりますが、これを心底から演奏するとなれば、そんじょそこらのちょっと器用なヴァイオリニストで手に負えるシロモノではありません。
ましてやそれだけを並べたプログラムを、二十歳をちょっと過ぎただけの女性に弾けるのかと思うと、身の程知らずという気持ちがよぎったのは事実で、いささか呆れた気分で「そんなら、聴かせていただきましょうか」という気分で第1番を聴き始めました。
…。
果たしてそれは、こちらが両手をついて頭を下げなければいけないほどのあっぱれなものでした。
この南紫音という人は、見れば可愛い顔をしてますが、えらく激しいものが内在しているようで、ヴァイオリンを構えるとまったく別人のように表情が変わり、あたりはイザイの深い闇の世界がとぐろを巻くようです。
テクニックも大したもので若い女性とは信じられないほどその演奏には腰が座っており、確かな軸が通っていてまったくブレないし、湧き出る音楽はいささかも表面的のきれいごとでなく、すべてが作品の内奥にあるものが彼女の肉体と精神を通して意味を持って湧き上がってくるのは大したもんだと思いました。
このために音楽は一瞬たりともひるむことがなく、高い燃焼感を伴いながら活き活きとその姿をあらわしては聴く者を圧倒するのでした。しかもこれは決して偶然の産物ではなく、4曲のソナタすべてをまったく見事な手さばきとテンションによって、ときには激しく、ときには緻密に、ときには奔放に、なおかつ一貫性をもってぞろりと弾き通したのですから、これはもう唖然呆然とするばかりでした。
最近よくあるタイプの、上辺だけをきれいに整えて、感情表現までもが事前のシナリオで決められているような白けた演奏とは対極にある、まさに理想的な、ヴァイオリンには不可欠の魔性さえ感じる見事としか言いようのない演奏でした。
福岡県からこんなすごいヴァイオリニストが出たなんて、今ごろですが嬉しい驚きで、「実力も恐れ入りましたし、さらには聴かせていただくのが遅くなって、どうもすみませんでした」という気分です。