NHK音楽祭2011の最後は、待ってましたとばかりにパーヴォ・ヤルヴィ指揮のパリ管弦楽団を迎えました。
ソリストはダン・タイ・ソンで、曲はシューマンのピアノ協奏曲。
ダン・タイ・ソンのシューマンと聞いて、とくだん心躍るものはなかったものの、実際に聴いてみるとこれがなかなかの味わい深い、いい演奏だったのは意外でした。
このシリーズは登場順にベレゾフスキー、カツァリス、河村尚子、キーシンと続きましたが、結果からみてダン・タイ・ソンが圧倒的にピアノの音が美しかった(キーシンは楽器の問題があったと思われます)のは意外でしたね。
冒頭の鋭い和音からそれは印象的で、いかなる部分も甘く透明で、芯があるのに角張らない美音を奏で続けたのは、この点ひとつとってもなかなか立派なものだと思いました。
演奏姿勢は椅子が低く、さらに手首が鍵盤よりやや下に落ちていますが、こういうスタイルの人は肉感のある安定した美音を出すものですが、逆に椅子の高い人は概ね音が汚く、フォルテでも割れてしまうようです。
この椅子の高さと美音の関係性は90%以上に当てはまります。
演奏も全体としては悠然としていながらも、細部のデリカシーにも抜かりはなく、こういうゆっくりと構えたシューマンもあるのかと新たなシューマン像を提示されたという点でも感心させられました。
終始自分なりの解釈があってよく咀嚼されており、そこからなにか大事な物を取り出すように音を出し、穏やかな歌を歌っているのが印象的で、こういう裏付けのある演奏というのは、ひとつひとつの音が意味を持ち、よってどんな解釈でも表現でも、自ずと人の耳を集中させずにはいられないものです。
ダン・タイ・ソンの美点のひとつが、タッチの美しさですが、この点もショパンで鍛えた(かどうかは知りませんが)柔軟な指の動きがもたらす丁寧な指運びは、絶えず美しいピアノの音色を作り出し、第3楽章全域で執拗に繰り返される速いパッセージにおいても、その丁寧なタッチはいささかも質を落とさず、彼の指はいじらしいほど健気で正確にせっせとその責務を全うしました。
まことに聴きごたえのある立派な演奏だったと思いました。
ところが、この日の白眉は最後のパーヴォ・ヤルヴィ&パリ管弦楽団のペトルーシュカというべきでした。
ほぉと驚くような大編成で、第1ヴァイオリンなどはあのNHKホールのステージの手前ギリギリのところまで来るほど壮大なスケールの陣容でした。
パリ管は野卑な音楽にもなりかねないストラヴィンスキーの音楽を、垢抜けたいかにも都会的な鮮やかな感覚で包みました。パリ管弦楽団は長らくエッシェンバッハが首席指揮を努めていましたが、今まさに勢いに乗るヤルヴィの指揮は圧倒的で、オーケストラ自体が新しく生まれ変わったようです。
また感心したのはストラヴィンスキーでは重要な役割を果たす管楽器群の上手いこと!
このペトルーシュカでも管の活躍によって音楽はいよいよ勢いを増し、独特な諧謔的な響きに花が開きます。ピアノも同様で、指揮者の前に縦に置かれたピアノは達者なピアニストによって、この壮大なオーケストラに埋もれることなくこの作品に於ける大役を全うしていました。
感心させられたのは、これだけの編成にもかかわらず、ひとりひとりはまるで室内楽奏者のように上体を揺らしながら熱っぽい演奏をしていたことで、どこかのオーケストラのように仏頂面をして義務のに淡々と演奏をするのとは大違いでした。
さすがにこういう演奏を聴くと、ピアノなんてコンチェルトでもなんだか地味だなあと思えるほど、その眩いばかりの輝きと迫力には圧倒されるものがありました。
素晴らしいピアノを聴かせてくれたダン・タイ・ソンには申し訳ないけれども、終わってみればシューマンはまるでペトルーシュカ前座のような印象でしたし、こういう演奏がまだ存在すること自体、クラシック音楽の将来にもなんだか希望はあるという気がしてきました。