氏より育ち

この秋、知り合うことになったピアニストの方が、ご自宅とは別の練習室で使われるためにピアノを購入され、先ごろ搬入も無事に終わり、触りにきてくださいとのご招待いただいたのでお訪ねしました。

ピアノはディアパソンのリニューアルピアノで、手がけたのはマロニエ君の部屋でも実名を出していますので差し支えないと思いますので書きますと、オオシロピアノによってオーバーホールされ、入念に調整された大橋デザインのグランドピアノです。

ドアの外に立ったときもドビュッシーのプレリュードが聞こえてきましたが、中にお邪魔してしばらくお茶をご馳走になったりして雑談をした後、さっそくにもあれこれと目の前で弾いてくださいました。
こうして間近で聴いてみると、ディアパソンはドビュッシーにもなかなか相性の良いピアノだと思いましたが、思い起こせばドビュッシー自身がベヒシュタインの大変な信奉者であったわけで、そのベヒシュタインを手本としながら数々のピアノ設計をされた名匠、大橋幡岩さんの設計というわけですから、そう考えるとディアパソンとドビュッシーというのもどこか線で繋がっているようです。

他にはショパンのスケルツォを少しと、多くはバッハを弾かれましたが、この方のやわらかなタッチはもちろんですが、それに応えるべくピアノの音の美しいことには深い感銘を覚えました。
同じ日本のピアノでも、決してヤマハやカワイでは聴くことのできない、純粋で凛としたピアノのトーンが部屋中に広がり、まさに音が空中を飛んでいるようです。
ディアパソンで感心させられるのは、音色が純粋であるのに、それが決して弱々しい音にならず、むしろ太い豊かな音であることもこのメーカーの作るピアノの大きな魅力だと思います。

ピアニストを前にマロニエ君ごときがピアノを触るのもどうかと思いましたが、すすめられるままにちょっと触らせていただくと、オオシロピアノの工房にあったときよりも、タッチの均一性などが、一段とアップしていることがわかり、あらためてピアノは技術者の手間暇と磨き込みしだいだという大原則をしみじみと思い起こさずにはいられませんでした。

ピアニッシモの出しやすさ、あるいは打鍵時の発音のタイミングも実に好ましく、よくここまで調整されたものだと思います。この整然とした調整の賜物か、今はご自宅のピアノよりもこちらが気に入っているという言葉も頷けるというものです。
『氏より育ち』という言葉もあるように、調整の行き届いたピアノには独特の品位があって、素直で、きめが細やかで、雄弁なものだと思いますし、それがなにより奏者の演奏意欲を向上させるものです。

この調整の行き届いたディアパソンがそうさせるのか、インベンションなどをさまざまなタッチや表情でアイデア豊かに演奏されましたが、そのデリケートな表現の試みにピアノがよく反応してどこまでもついてくるようで、まさに楽器が演奏者の創意や可能性をあれこれと刺激しているようです。
いうまでもなく、このような現象は、ただ派手な音の出るだけのラフなピアノ(大半がそうですが)ではけっして起こり得ない現象です。

これぞまさに楽器の生まれ持った能力と技術者の精度の高い仕事の融合であり、ひいてはそれが楽器と演奏者の好ましい関係にも直結するわけで、それぞれが持てる能力を最大限引き出し合っている状態だと思います。
まさに良いことづくめの相乗作用で、良い楽器を手許に置くということはことほどさように素晴らしいことだと思いました。

来年にはリサイタルも予定されているようで、楽しみがひとつ増えた気分です。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です