「リスト生誕200年記念ガラ、ブーレーズ&バレンボイムのリストへのオマージュ」という映像を見ました。
今年の6月にドイツのフィルハーモニー・エッセンで行われた演奏会の模様で、オーケストラはベルリン国立管弦楽団。
プログラムは、リストとワーグナーの浅からぬ交流にちなんだものと思われますが、この二人の作品を交互に置いたもので、リストでは2つのピアノ協奏曲をバレンボイムがソリストで弾きました。
こう言ってはなんですが、なんの感銘も得られない、実につまらない演奏でした。
指揮者としてのバレンボイムにも賛否両論あるようですが、少なくともピアニストとしてはもうこの人は終わっている人だというのがマロニエ君の率直な感想です。
演奏は粗いし、音は汚いし、南米のピアニストにしては例外的にリズムも弱く、ニュアンスにも乏しい。
70歳目前という年齢ですが、ずいぶん肉体的にも衰えているのか、あるいは指揮活動のせいでピアノの腕が落ちているのか、まともなスピードで演奏することも困難なようで、専らオーケストラとの拍を合わせることに一生懸命なようですが、それは悟られないように、いかにも「オンガクしているよ」というパフォーマンスだけは忘れません。
指揮台にはブーレーズという大物がいるにもかかわらず、何かといえばオーケストラのほうを向いて、さまざまな強い視線を投げかけては、いかにも自分は全体を捉えて演奏しているんだといわんばかりの素振りを執拗に繰り返し、ほとんど意味のない場所でさえいちいち左を向いてオーケストラにコミットしようという仕草が度を超していました。まるで指揮者が二人いるようで、ブーレーズに対してもいささか僭越ではないかと思いました。
この人は昔から音色の美しいピアニストではありませんでしたが、ますますその傾向は強まり、かすれて聴き取れないピアノ&ピアニッシモ、そうかと思うとベチャッと割れたフォルテのどちらかです。
それでは音楽的にどうかといえば、これがまた要するに何が言いたいのかがわからない。
さも意味深な表情付けをしてみたり、テンポを落として荘重に音を広げてみせたりするものの、それが結局どう実を結んでいくのかがさっぱりわかりません。
おそらくこの人自身にもそれはないのだろうと思われるし、演奏になんのビジョンも主題もないということがバレてしまっているわけです。演奏というのは人柄がダイレクトに投影されるものですから、こういうことは覆い隠しようがないわけです。
アンコールではリストのコンソレーションを弾きましたが、最後のピアノ協奏曲第1番のトゥッティによるフィナーレの直後だけに、ガラリと雰囲気を変えようと、ほとんど聴き取れないようなピアニッシモで弾いてみせるのも、いかにも芝居じみた「計算づく」の作戦がバレバレでした。
さすがはドイツというべきか、聴衆も一向に感心した様子がなく、みんな義務的な冷たい拍手をパラパラ送っていましたが、本人がよほどまだ弾きたいのか、さらにもう一曲、忘れられたワルツまで弾きはじめたのには驚きでした。
ピアノはスタインウェイですが、イタリアの名調律家であるファブリーニのピアノで、サイドには彼のロゴマークが入っていましたが、このときはもちろん音はステレオから出して聴いていましたが、べつにどうということもない普通にキチンと調整されただけのピアノという印象しかありませんでした。
とくに悪いとも思わなかったけれども、J・アンマンなどのほうが華があるし、凡庸な感じしか受けませんでした。
この日は遅くなったのでもうお開きにして休みましたが、ほんとうなら口直しに何か違うものでも盛大に聴いてみたいところでした。