調律師の方が調整後の状態を確認するために来宅された折、マロニエ君がよほど音楽が好きだと思ってくださったのか、前回に続いて、また手土産にCDをいただきました。
江崎昌子さんのピアノによるショパン:エチュード全集で、3つの新練習曲を含めた27曲がおさめられたアルバムでしたが、事前の説明によると、いわゆる流麗なショパンではなく、ポーランドの土の香りがするような田舎臭い、ごつごつとしたショパンとのことでした。
聴いてみるとあまりにもその言葉通りの演奏で、可笑しくなるほどでした。
曰く、日本の演歌と同じでポーランド人はこういうショパンを聴いて涙するのだそうで、きっとそこにはポーランド人の心が創り出した、半ば偶像化されたショパンがあるのだろうと思います。
ピアニストの江崎さんは桐朋卒業後にポーランドに留学して、彼の地のショパンを我が身に刻み込んだ方のようですが、ともかくショパンから洗練やしなやかさを全部洗い落として、ひとつひとつの音符をガチガチの楷書で書いたようなピアノです。
すぐに思い起こされるのは、先月のコンサートで聴いたヤブウォンスキはじめ、ツィメルマン、ハリーナ・ステファンスカ、オレイニチャクなど、一連のポーランドのピアニストたちが己が魂をピアノに叩きつけるようなショパンであり、病弱でパリの社交界の話題であった繊細優雅なショパンではなく、ポーランドが国を挙げて誇りとする祖国の英雄の姿なのです。
彼らはショパンの音楽をまるでベートーヴェンのように太く真正面から捉えますが、そのぶん細部の陰翳にこそ心を通わせるようなショパンではなく、すべてを偉大な音楽として肯定しようとするところが、マロニエ君などはちょっと違和感を覚えてしまうのは如何ともしがたいところです。
まあ、みんながみんな洗練されたショパンを弾かなくてもいいのですが、あえてこちらの道を選び取る人がいることに感心させられますし、この土台の上に、さらに日本の精神文化を加味した先輩格が遠藤郁子さんだろうと思います。
ともかくもパリの優雅とは訣別した、男性的で哀愁あふれる高倉健みたいなショパンがそこにはあるようで、それを極限まで追求した江崎さんの演奏は、その真摯さ一途さという点においては一聴に値するものとは思いました。
ここに聴く江崎さんの演奏は、すみずみまで己を訓練し鍛え尽くした末の、ひとりのピアニストの仕事の記録としてはとても見事なものだとは思うのですが、いささか気負いばかりが先行した演奏だと感じました。
ひとつには江崎さんの身につけたピアニズムにも原因があるのかもしれませんが、あまりに熱唱、全力投球が前面に出てしまって、ポーランド人は涙するにしても、ニュートラルな判断としてはいささか音楽に呼吸が足りない。
全曲をなにしろ力づくで弾き通したという印象が強いために一曲ごとの個性が却って不鮮明で、全体がひとつの組曲のような印象になってしまっているように感じました。
ライナーノートを読むとご当人はこのエチュードには大変な思い入れがあったのだそうで、以前も一度録音されたにもかかわらず、このCDは二度目の録音だというのですから、ご当人はよほど入魂の演奏だったようです。
その甲斐あってか、このレーベルのピアノソロとしてはよく売れているのだそうで、その理由のひとつには優秀な録音がオーディオマニアの間でも評価が高いこともあるのだとか。
ピアノは山形テルサのスタインウェイをこの調律師さんが調整されたものですが、ピアニストの演奏があまりに全力疾走気味なために表現の幅広さなく、音も平明になり、この方のせっかくの音造りの妙技が前回ほど克明にあらわれていなかったように感じました。
そもそもマロニエ君に言わせれば、この江崎さんの目指すようなポーランドテイストには、スタインウェイは甘くブリリアントに過ぎて、いっそペトロフのような哀愁漂うピアノのほうがその音楽的指向にも合っている気がしますし、まあ日本で準備できるピアノでいうならシゲルカワイなどのほうが向いているように思いました。