南紫音CD

以前書いたように、イザイのヴァイオリンソナタを聴いて驚愕し、南紫音さんの演奏に文字通り魅了されてしまったマロニエ君としては、ともかくCDを1枚買ってみることにしました。

現在CDは2枚リリースされており、とりあえず新しいほうのアルバムを買いました。
曲目はR.シュトラウスとサンサーンスのソナタを中心において、ドビュッシーとラヴェルの小品が間を埋めるという構成でした。

やはり、ここに聴く南さんの演奏も力強く躍動する若々しさと、深く老成したものが互いにメリハリをもって同居する素晴らしいものでしたが、セッションであるだけにより腰を据えてみっちり丁寧に演奏しているという感じでした。
しかもそれは、いかにもレコーディング用といった慎重一辺倒のキズのない、きれいな製品作りみたいな演奏ではなく、あくまで自分の感興に乗ってドライブするという基本がそのまま維持されているために、音楽に不可欠の一過性や即興性も備わり、大いに聴きごたえがあって、極めて好ましいものでした。

音楽の在り方、演奏の在り方はさまざまでこれが正解というものはないけれども、やはり基本的には生命力と燃焼感、つまり演奏者の心の反応と呼吸がその中心を貫いていることが音楽の大原則であり、そこが最も大切だと思うマロニエ君です。
それと、音楽に奉仕するという精神と品位が保たれていなくてはならない事も忘れてはなりません。

とくに近年ではクラシックの人はこういう音楽の基本をもうひとつ忘れがちで、評論家受けするような要素にばかり重心をおいたような、思わせぶりなシナリオのある演技のような演奏をする人が多いのは甚だつまらないことだと思っているところです。
音楽はどんなに緻密に準備し研究されたものであっても、生命感を失った、表面的なものに終始するとその魅力も半減です。

現在は演奏技巧の訓練という点にかけては科学的なメトードの進化によって、高度な技術を身につけた若い演奏家はあふれるようにいるわけで、そこでは心の空っぽな、自分の技術と能力を見せつけるために音楽作品をむしろ道具のようにしているような演奏が氾濫しています。

一度はその発達した技巧に驚いたこともありましたが、その手合いは次から次に登場してくるわけで、もうすっかり食傷気味なのは皆さんも同様だろうと思います。極端に言えば、だからもう技術ではほとんど勝負にならず、再び音楽の質こそが問題になったと思われます。

その点で言うと、南紫音さんの演奏は、技巧ももちろん素晴らしいけれども、音楽に血が通っており、内面の奥深いところから鳴り響いてくるものがある点がなによりも聴き手に訴えてくるわけです。

もうそろそろ日本の聴衆もくだらないビジュアル系だの背景にある人生ドラマなどから脱却して、本物だけが正しい評価を受けて認められ、末永く演奏を続けていかれる環境になることを望むばかりです。

そして現在の彼女の演奏に敬意を表するマロニエ君としては、この先下手な留学などしないことを望みます。というのもヨーロッパのある天才少女が、アメリカの名伯楽といわれるヴェイオリンの教師の許に留学したばかりに、結果はひどく凡庸で俗っぽいヴァイオリニストになったことも知っているので、そういう道だけは進んで欲しくないと思うところです。

音楽雑誌を立ち読みしたところによれば、来年は紀尾井ホールで念願のフランクのソナタなどをプラグラムに入れたリサイタルがあるようで、こっちにも流れて来ないだろうかと期待しているのですが…。

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