新年初作業

新年早々やったこと。
それは雑誌のブックカバー作りでした。

マロニエ君はあまりテレビは見ませんが、それでも年末年始の番組ともなると見逃したくないものも含まれてくるわけで、毎年、この時期だけはテレビ番組のガイド本を買ってくるようにしています。
今回は、雑用に取り紛れていつもより遅くなり、ついには大晦日の夕方、書店の前に車をとめて小走りに買ってくるという有り様でした。

毎回感じることですが、やたらめったら同じような雑誌がズラリと並んでいて、咄嗟にどれを買ったらいいやらわかりません。
表紙もほとんど同じ調子で、値段も僅差で、いつも何の根拠もなくその中の一冊をやみくもに選んで買ってくるわけです。どうして日本人って何の世界でもこんなにも同じものをムダに何種類も作るのかと思います。それが結果的に数の決まったお客さんの奪い合いとなり、お互いの足の引っ張り合いを招くという悪しき構造です。

雑誌の世界は我々の想像を絶する経営難だそうで、つい先日聞いたばかりの話ですが、業界でも最も売れている男性ファッション誌などでも、年間数千万という赤字を垂れ流しているというのですからさすがに開いた口がふさがりませんでした。
たとえ売れ行きがトップであっても、決してその売り上げで利益を上げることはできないのだそうで、もっぱら広告収入に依存しているとのことですが、それがまたこのご時世だからスポンサーも広告量も激減して、雑誌出版業界はきわめて厳しい苦境に立たされているという話でした。
大手出版社では、こういうお荷物を雑誌ごと切り売りすることまで考えているのだそうで、これは雑誌に限らずあらゆる業界に共通した事象のようで、どこか世の中の歯車が根本的に狂ってしまっているような気がします。

話が逸れました。
年に一度買うこの手のテレビ番組雑誌ですが、マロニエ君にとってはこれが家にあるとイヤなことがひとつあります。
それはこの雑誌を見る期間中というもの、いつもそれはテーブルの上にあり、表紙のうるさい色彩と見たくもない芸能人の顔が絶えず視界に入ってくるということです。わざわざ見なくても、至近距離にあれば嫌でも視野に入るわけで、それが非常に気になって嫌なのです。

その本を手にするときはもちろんのこと、見ないときでもそのド派手な表紙は絶えずその存在感を撒き散らしてしまうので、今年は、意を決してブックカバーを作ったわけです。

表紙が見えなくなることが主たる目的ですから、作りは大雑把で良いのですが、そんなどうでもいいものでもついついピシッと作らないと気が済まないマロニエ君の性格で、作業にはかなり集中してしまいました。
大型封筒を解体して、きっちりサイズを合わせ、あとで外すことはないから、かたっぱしからセロテープで貼り付けて、どうだ!とばかりに封じ込めてやりました。

そういうわけで一見してはただの真っ白い冊子というだけで、ようやくにして視界を邪魔されることがなくなりました。ところが喜びもつかの間、家人から「これでは一体どっちが表紙なのかわからない」という、ほとんど言いがかりのようなクレームがつきましたので、皮肉を込めて「表紙」と大書しておきました。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です