威風堂々の歌詞

イギリスのザ・プロムスをことをもう少し。

これがイギリスの音楽の一大イベントであることはまぎれもない事実のようで、2011年で実に117回目の開催だと高らかに言っていましたから、歴史もあるということです。
19世紀末、もともとはふだん音楽に触れることの少ない一般大衆にもコンサートが楽しめるようにとはじめられたものだそうです。

こんにちまで、その精神が受け継がれているといえばそうなのかもしれませんが、ともかく音楽というより、音楽をネタにした壮大なスペクタクルというべきで、そのド派手な催しを見ていることが目的であり価値のようでした。

ラストナイトも後半になると、お約束のエルガーの威風堂々の第1番が鳴り出して、いよいよこのザ・プロムスも終盤のコーダを迎えるようでした。
実はマロニエ君はこの威風堂々第1番のような有名曲は、音楽ばかりが耳に馴染んで、中間部の歌の歌詞など気に留めたこともありませんでしたが、テレビの画面に訳が出てくるものだからそれを読んでいると、その何憚ることのない大国思想には唖然としました。

「神は汝をいよいよ強大に!」「国土はますます広く、広く」「我等が領土は広がっていく!」「さらに祖国を強大にし給え」というような侵略と植民地支配を前提とした歌詞が延々と続き、ロイヤルアルバートホールはむろんのこと、ハイドパークに結集した群衆も一丸となってこの歌を大声で叫ぶように唱和しています。

もちろん、これはすでに古典の作品ということで、いまさらどうこうという思想性もないということかもしれませんが、かつての大英帝国の繁栄と傲慢の極致を音楽にしたものだと思いました。
それをこれだけの規模と熱狂をもって歌い上げ、その様子を全世界に放映するということはちょっと違和感があったのは事実です。
とりわけ日本人は過去の謝罪だの、靖国問題、教科書の表記などとなにかと近隣諸国に気を遣い遠慮することに馴れてしまっているためか、こういう場面を見ると唖然呆然です。

さらに続いて、英国礼賛の愛国歌「ルール・ブリタニア」をスーザン・バロックが戦士の出で立ちで歌い上げるとまた群衆がこれに唱和し、バリー作曲の「エルサレム」、さらにはブリテン編曲による女王を讃える「英国国家」となるころには、マロニエ君の個人的な印象としては、だんだんただのド派手なイベントだと笑ってすませられないようなちょっと独特な空気が会場全体、あるいは野外の群衆からぐいぐいと放出されてくるようでした。

無数のユニオンジャックの旗が力強く振られ、聴衆の熱狂はいよいよその興奮の度を増していく様は、ちょっと危ない感じさえしたのが正直なところです。

恒例だという「指揮者の言葉」でマイクを持つエドワード・ガードナーのひと言ひと言に、聴衆が熱狂を持って反応するのは、ほとんどこれが音楽のイベントなんて忘れてしまいそうでした。
最後は「蛍の光」を会場全体が両隣の人とみんな手をクロスしてつないで熱唱する様は、まるで国粋的な戦勝祈願の集会かなにかのような感じで、さすがにちょっともうついていけないなと思いました。

断っておきますが、マロニエ君は断じて左翼ではありません。
でも、最後はちょっと引いてしまったのは事実です。

熱狂というのは本来は素晴らしいことだと思いますが、その性質と、度を超すと…恐いなと思いました。

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