薄汚れた画面

兵庫県の現職知事が、今年から始まった大河ドラマの『平清盛』の第一回放送を見て酷評したことが話題になっていたようですね。

テレビを観る習慣の薄いマロニエ君にとっては、毎週ひとつでもドラマを見続けるというのは、結構な義務にもなるので今年の大河も見ないつもりだったのですが、こういうおかしな話題がくっついてくると根が野次馬のマロニエ君としては、ちょっと見てみたくなりました。

我が家のビデオレコーダーには家人のために大河ドラマが録画セットしてあって、幸い消去していなかったので、これは好都合とばかりに再生ボタンを押しました。

結果から先に言うと、知事の発言も尤もだと思いました。
マロニエ君は最近のテレビ特有の、手を伸ばせば人の顔に触れられそうな、あのほとんどプライバシーの侵害のようなシャープな映像は決して好きではないので、多少のフィルターというかノイズの加わったような、すなわちアナログ風のやわらかい画面になることは、今後の方向性のひとつとして好ましいことと思っています。

さすがにニュースやスポーツではそうもいかないでしょうが、ドラマなどはカリカリの鮮明画面より、何らかのフィルターがかかるのは好ましいことだと思われ、NHKのドラマでいうと『龍馬伝』や『坂の上の雲』がそれだったと思います。
とりわけ『龍馬伝』を見たときは、それ以前の、いかにも狭いスタジオのセットにライトを当てて撮影していますと言わんばかりの学芸会的な調子から、落ち着いた雰囲気のある映像に進化したと思ったものです。『坂の上の雲』もほぼ同様。

しかし、今回の『平清盛』は映像それ自体になんの味わいも無く、映像そのものに、なにか作り手が拘っているクオリティがまったく感じられません。
いつもハレーションを起こしているようで人物の顔にはやたら陰が多く、ほこりっぽく、色彩感もない。昔の映画のような渋い美しさのある映像でもなければ、新しいなりのなにか深みや味わいがあるというようにも感じられない、単なるコストダウンのための、手抜きと勘違いのようにしか見えませんでした。
それに、俳優でもなんでも、なんであそこまで汚らしくしないといけないのか説得力がありません。

兵庫県知事がおっしゃるように、「うちのテレビがおかしくなったのかと思うような画面…」というのも頷けるし、なにかのスイッチを押すとパッときれいになるんじゃないかというような、絶えずストレスを感じさせる映像だったと思いました。
知事は「薄汚れた画面」という表現をされたようですが、それも納得で、薄汚れた状況を丁寧に表現している上質な画面と、映像そのものが安っぽく薄汚れているのとは、そもそも大違いです。
そして『平清盛』では、その映像になんらかの美しさがまったく感じられず、斬新なつもりの製作者の自己満足だけが垂れ流されているといった印象しかありません。

ただし、だからといって知事という立場にある公人が、ドラマ作りの内容にまで堂々と言及するのは適当かどうか…。清盛の主な舞台となる兵庫県では、この大河ドラマに合わせて観光客誘致のキャンペーン中だそうで、ドラマへの期待が高すぎて、あの映像では効果が薄いと危機感を募らせたのでしょうか。

このような批判は、一般視聴者の声なら大いに結構だと思いますし、そういうものがあってこそより良い作品が生まれるというものです。
同時に、大河ドラマは特定の県や地域の宣伝目的で存在しているわけではないので、それによる経済効果を過度に期待して、ドラマの仕上がりに文句をつけるとしたら、これは本末転倒というべきではないでしょうか。

というわけでマロニエ君の印象としては、どっちもどっちでは?という気がしました。
第二回まで見ましたが、正直、今後見続けるという自信はもてません。

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