路上マナーの低下

最近車を運転していて気がつくことのひとつは、路上でドライバー同士が「どうも」程度のちょっとした挨拶をする人が激減したということです。

たとえば狭い路地などで、対向車が向かってくるのが見えたら、無理に進入せずに、その車が通りすぎるまでできるだけ広い場所で待っておくことがあります。

そういうとき、以前ならすれ違いざまに軽くクラクションを鳴らしたり、ちょっと手を上げたり、中には軽く頭を下げる人などがいましたし、マロニエ君も逆の場合は(現在でも)必ずそのように謝意を表現するようにしていますが、最近はこんななちょっとしたやりとりが失われたように感じます。

いやしくもドライバーなら、相手が道の向こうで止まって待っているのは何のためか、わからないはずはないのですが、すれ違いざまにも、ただ冷たくサーッと無表情に通り過ぎていく人がずいぶん多くなりました。
まるで「当然」みたいな趣で、こういうときは、どうしようもなくムッとくるものです。
人間は、あまりにもパソコンや携帯を使いすぎて、こんなふうになったのかとも思います…。

こんな変化にも、考えてみるとプロセスがあり、全般的傾向としてですが、はじめはまず30代ぐらいの女性ドライバーがこの礼無し通行をするようになり、続いてさらに若い男性などがそれに加わってきた印象があります。

そのうち老若男女は入り乱れ、最後にはこの点だけは比較的律儀だったタクシーの運転手までもがこれをするようになり、今では道を譲ったり、相手側の通過を待っていたりしても、なんらかのささやかな挨拶を返してくれる人のほうが確実に少なくなり、まったくやるせない限りです。

あと、その手の無礼者の比率が高いのが高級車のドライバーで、車の威を借りて自分が偉くなったような気分なのは、昔からもちろんいましたが、いよいよそれに拍車がかかってきているようです。
高級車の横柄ぶりについては、マロニエ君の印象では、現在は輸入車系よりも大型のレクサスなどのほうが確実に上を行く印象です。

まあとにかく、今の世の中、ちょっとした「お互い様」とか「すみません」というごく自然な気持ちや、それに連なる表現が、どんな場合にも少なくなったように感じます。

そうかと思えば、耳にする歌の歌詞などは薄気味の悪いほど「ありがとう」というような空虚な言葉のオンパレードだし、店で買い物をしていても、店員のほうが泰然として、お客さんの方が何かといえば店員に「ありがとうございます」を連発したりと、いったいどうなっているのかと思うことしばしばです。

車のドライバーには路上の仁義がなくなったものの、まだ建物のドアの開け閉めやエレベーターなどでは、かろうじて「すみません」というような言葉が交わされますが、この調子では、これもいつなくなってしまうかと心細い限りです。

路上マナーの低下」への2件のフィードバック

  1. SECRET: 0
    PASS: 74be16979710d4c4e7c6647856088456
    マロニエさんへ

    全く、その通りです。同感です。
    特に女性は、あいさつない人がほとんどです。
    男性は、わりとあいさつがありますよ。

    考えて見れば、教習でそういうマナーは習わなかったし、
    その後、学ぶことないのかも知れません。

    私も、最初に手を挙げてあいさつした時は、
    勇気がいったのを覚えています。

    車の運転だけではなく、社会全体マナー、道徳心の低下のせいかも
    知れませんね。

  2. SECRET: 0
    PASS: 74be16979710d4c4e7c6647856088456
    自主コンサートの害、の記事もごもっともです。
    リンク貼らせていただきたいほどです。
    私も何故だろう、と考えていました。

    マロニエさんは、文章が上手で、よくまとまっています。
    普通の感覚の人なら、納得できるでしょう。

    話は戻って、お客がお店の人に「ありがとう」って言って、
    「はい」(お店でなくても)という人をみかけて、
    あぜんとすることが多いです。

    また、訪問させていただきます。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です