小林愛実

先週、小林愛実さんのリサイタルの様子がNHKで放送されました。

この人は現在16歳で、ずいぶん早熟なようですが、音楽の世界ではよくあることで、本物のコンサートアーティストになる人は10代で頭角をあらわすぐらいでなくてはやっていけません。
マロニエ君の記憶では、彼女はインターネットの動画サイトのYoutubeで、子供のころの演奏がずいぶん投稿されて話題になったように思います。
まだ補助ペダルの要るような小さな童女が、オーケストラをバックにモーツァルトのコンチェルトなどを大人顔負けに堂々と身をくねらせながら弾いてみせる姿に、ずいぶん多くの人がアクセスして話題になったようにも聞きました。

その彼女も成長して10代前半でリサイタルを行うようになり、現在は桐朋の学生で演奏を続けながらもさらなる修練を続けているようです。

いきなり好みの話で申し訳ないのですが、これまでにも何度か見て聴いた経験では、マロニエ君はさほど好きなタイプではなく、実際にも彼女の演奏にはいろいろな意見がうごめいているというようにも聞いています。

もちろん上手いのは確かですが、弾いている構えが、いかにも音楽に入魂しているという様子ではあるものの、独特なものがあって、このあたりなども意見の分かれるところだと思われます。

演奏されたのはショパンのソナタ第2番と、ベートーヴェンの「熱情」という大曲二つでしたが、見ているよりも出てくる音の方がより常識的で、まあそれなりだったと思います。
ただし、現在でもまだ体は小さく、椅子をよほど高くして、上体はピアノに覆い被さるように自信たっぷりに力演しますが、ピアノはもうひとつ鳴りきらないところが残念と言うべきで、これはあと数年して骨格ができてくるとだいぶ余裕が出るのかもしれないと思います。

マロニエ君がひとつ感心したのは、今どきのピアニストにしては全身でぶつかっていく迫りのある演奏をするという点で、多くの若いピアニストが感情のないビニールハウスの野菜のようなきれいだけどコクのない演奏をする中で、小林愛実さんは作品に込められた真実をえぐり出そうという覚悟のある、きれい事ではない演奏をしていると感じました。

そのためにミスタッチもあるし、演奏する上でもかなり危ないこともしますが、それがある種の緊迫感をも併せ持っており、少なくとも表現者たるもの、そういうギリギリのところを攻めないでは、なんのために演奏という表現行為をするのかわからないとも言えるでしょう。
この点では、現在の多くの若手の演奏は周到な計算ずくで、スピードなどはあっても音楽そのものが持つべき勢いとか生々しさがなく、聞いている人間が共に呼吸し、ときに高揚感を伴いながら頂点へ向かっていくような迫力がありません。

愛実さんはその点は、多少の泥臭さはあるけれども、ともかく自分の感性に従って、必要な表現を恐れずに挑むのは立派だと思いましたし、生きた音に生命力を吹き込まず、きれいな家具を並べただけみたいな演奏に比べたら、どれだけいいかと思いました。

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