韓国映画

人並みに映画が嫌いではないマロニエ君は、このところ映画館に出かけることまではしませんが、たまに友人とDVDの貸し借りをしたり、テレビで放映されたものを録画して見ることはときどきあります。

洋画/邦画いずれも拘りなく見ますから、ハリウッド作品はもちろん、古いフランス映画などもずいぶん観たと思いますし、邦画では小津安二郎から鶴田浩司の任侠物まで、節操なく、おもしろそうなものは手当たりしだいですが、唯一手をつけなかったのは香港映画でした。
あれはろくに見たことはありませんが、どうも体質的に合わないという感じで一度も近づこうとしたこともありません…いまだに。

そもそもアジア映画というのが昔はまるきり見る意欲が湧きませんでしたが、そんな中、次第に面白さに気が付いてきたのが韓国映画で、これはいつごろからかポツポツ見るようになりました。
つい最近もある作品をひとつ観ましたが、だいたいどれもそれなりに楽しめるようになっているのは、いずれも映画のエンターテイメントを心得たプロの作品ということだろうと思います。

マロニエ君が感じるところでは、国を挙げてやっているのかどうかは知りませんが、映画に対する取り組みのテンションやパワーが凄いことと、台本にしろ監督にしろ、あちらでは才能のある人間が本気の仕事をしているように感じます。それなりのセンスもあるし、映画としての切れ味やテンポもある。
クリエイティブな世界までコンセンサスで、臆病で、キレイゴトを前提とする日本では、本当に才能ある人がのびのびと仕事をする環境を整えるのが難しいし、だから才能が育たない。

もう一つは、日本と違って韓国人は「感情」をなによりも優先することかもしれません。
感情というものはきれいなものばかりではなく、喜怒哀楽、清濁、美醜、あらゆるものが激しくうごめくのが当たり前であって、そういう人間的真実が一本貫かれているから、描かれる人物もみな活き活きと人間くさく、観ていておもしろいのだと思います。

出てくる俳優もいわゆる草食系ではなく、とくに主演の男女などはどことなく野性的な色気があるのも魅力だろうと思います。ほんのお隣なのに、どうしてこんなにも違うのかと思います。
韓国では痩せぎすのスッピンみたいな女優が大物ぶっていることもないし、男には男の攻撃的な荒々しさみたいなものがしっかり残っているのも、作品が精彩を帯びている要因だろうと思います。

それと、韓国映画を見ていて感心するのは出てくる俳優達の大半が欧米人並みに体格がいいことです。
それもただモデルのようにむやみに背が高いなどというのではなく、本当にきれいな体型で、それ故に男女が向かい合っただけでも立派な絵になる。

まあ日本人としては、せめてひとまわりと言いたいところですが、実際にはもっと体格がいいから、ビジュアルとしてもサマになってしまうのでしょう。

そういう出演者達が、非常に感情豊かに体当たりで激しく動き回るのですから、なるほど映画も引き立つだろうと思われます。
美しいものと醜悪なもの、愛情深いものと残酷なものを容赦なく対比させるのも、韓国映画が恐れずにやってみせることのひとつで(やり過ぎでうんざりすることはあるものの)たしかに迫力はありますね。
その点は日本人は感情やビジュアルまでも「きれい好き」で、常に箱庭のようにきれいに整理されてしまっているから、ある種の味わいとか繊細さはあるにしても、観る者の心を鷲づかみにするようなパンチはない。

日本人は目的が何のためであっても汚いもの、醜悪なもの、激しいもの、ときに残酷なものを体質的に避けて、小綺麗に文化的にまとめようとする傾向がありますが、そんな制限付きではものごとの表現力はどうしても劣勢に立たされてしまうのは避けられないことでしょう。
音楽の世界でも、非常に優れた演奏家が韓国に多いのは、やはり彼らが広くて深い感情の海を自らの内側に抱えていて、そこから多様で適切な表現をしてくるからではないかと思います。

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