弾くほどに鳴る

過日はピアノ好きの知人と共に、県内にお住まいのあるピアノマニアの方を尋ねてお宅をお邪魔しました。

マロニエ君のまわりには輸入ピアノのユーザーが何人かいらっしゃいますが、この方はやや珍しいニューヨーク・スタインウェイをお持ちです。
昨年の暮れぐらいに調律その他の調整をされたということで、一緒に行った方が弾き出すと、なんとも淡く可憐な音色が出てきたのには思わずハッとさせられるようでした。

一般的なイメージとしては、ハンブルク・スタインウェイのほうがドイツ的で落ち着いた音色で、対してニューヨーク・スタインウェイはもっと明るく派手で、しかも硬質な音であるように考えられているふしがありますが、実際はさにあらず、ニューヨークのほうがやや線が細く、そして格段にやわらかい音色を持っています。
日本のピアノやスタインウェイでもハンブルク製に慣れた人の耳には、この音色と発音特性の関係から一見ちょっともの足りないように感じられることもあるようですが、話はそう単純ではありません。

たしかに弾いている当人の耳にはそれほどガンガン鳴っているようには感じられないのですが、少し距離をおくと非常にボディがよく鳴って音が通り、心底から楽器が響いているのがやがてわかってくるのがニューヨーク・スタインウェイの特徴のひとつだと思います。

その証拠に、同行した知人が仕事の連絡で携帯を使うため、ちょっと部屋を出て電話をはじめたところ、ほとんどピアノの音量が変わらず、さらに離れたらしいのですが、漏れ出てくるピアノの音量はほとんど変化しないので大いに焦ったらしく、相手が仕事の関係であったためにちょっとまずかった…と心配しなくてはいけないぐらいだったそうです。

「遠鳴り」で定評のあるスタインウェイは、思いがけずこんなところでもその優秀性が証明されたようでしたが、逆にいうと家庭用のピアノとしては、弾いている本人には手応えよく鳴ってくれて、しかも周囲にはあまり音の通っていかないピアノのほうが、騒音問題という実情には合っているかもしれません。

そういう意味ではスタインウェイはサイズを問わず、楽器の性格としては人に聴かせるためのピアノだということは明らかで、そこが今流に言うとまさに「プロ仕様」のピアノだといえるでしょう。

さて、ピアノ遊びというのは時間の経つのが早いもので、あっという間に時計の針が進んでしまいます。
弾きはじめから2時間ぐらい経ったときでしょうか、ハッと気がつくとピアノの音が大きく変化していることに一同驚きました。はじめの可憐な音色は遙かに影を潜めて、太いのびのびとした音が泉のように湧いてきて、むしろ逞しいとさえ言っていい力強い響きに変わっていました。

日本製のピアノでも1時間も弾いていると鳴りがこなれてくるというのは感じることがありますが、これほどあからさまな変化が起こるのは、いやはやすごいもんだと感心させられました。まさに良質の木材とフレームが弾かれることでしだいに目を醒ましてぐんぐん鳴り出すのは、まるで楽器が掛け値なしに生き物のようでした。

こういう状態を知ってしまうと、一流品であればあるほど、例えば店に置いてあるピアノをちょっとさわってみるぐらいでは、とてもその実力の全貌は見えないということになるでしょう。
とくにもし購入を検討するときなどは、お店の人を説き伏せて1時間でも弾いてみると、そこから受ける印象や判断はずいぶん違ったものになってくると思います。

日本のピアノは製品としてはまったくよくできてはいるものの、状況によってここまで変化するという経験は一度もなく、それだけコンディションが安定しているといえばそうなのかもしれませんが、楽器とは本来、このようにセンシティヴで演奏者をわくわくさせるものであってほしいと思いました。

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