いろんな人とお付き合い、もしくは接触があると、いまさらのようにいろいろなタイプの人がいることに感動してしまいます。ここに「感動」という言葉を使うのは不適切のように感じられるかもしれませんが、マロニエ君としてはやはり人は本当にさまざまという意味もあり感動という言葉をおいて他にありません。
そんな中でも痛切に思うのが、何事もマイペースを貫くことができる太い人というのはやはり強いなあと思います。
些細なことが気にならないタイプというか、泰然としている人、おおらかな性格などもあれば、無神経で図太くて鈍感な人というのも少なくありません。
その種類はいろいろでしょうが、なにしろなんでも自分のペースが守れる人、押し通してしまう人というのは、少なくともその部分だけでもおそろしく強いと思います。
人が複数集まる機会というものがあるとして、そういうときについ脇にまわる人と、話の中心に出てくる人というのがありますね。
それも存在感があるとか、話術が巧みなどの理由で自然にそうなるのであればいいとしても、初めからマイペースのトークオンリーで、デリカシーがなく、空気が読めないために中心になる人がいます。けっきょく一種の鈍さから他のことはおかまいなしに自分ばかり押しまくってしゃべってしまう人などがいて、こういう手合いはどうも困ります。
しかも比較的スローテンポな人なんかだと一見出しゃばりのようには見えないので、まわりもすっかりのせられて、ヘタをすると「あの人はいい人、面白い人」などという、まったく的外れな高い評価まで獲得してしまったりする日にゃあ、(面と向かってそれを否定はしませんが)内心はもう驚きと諦めが充満してしまいます。
これも要するに図太くてマイペースが勝ちというわけです。
メールなども、こちらがメールを出してもいつまでも返事が来ない人がいますが、無視されたのかと思っていると忘れたころにひょっこり返信が来ていたりします。
あるいは、「メールは(とくに返信は)一度だけ」と思っている人がいて、返事を返しても、それに再度返信してくることの決して無い人という、人情味のない人も結構いますね。
こういうことはむろんケースバイケースで、延々とやりとりする必要はありませんけれども、いちおうやりとりの上での区切りというのはあるだろうに…と思うのです。
電話も然りで、こちらがかけてもコールバックしない人、電話帳登録している番号以外は出ない人など、昔はなかったような新種の違和感を覚えることはときどきありますね。
社会生活を送るためにはいろんな人の性格や流儀に対して、寛容の気持ちを持って接しなければいけないというのはマロニエ君が常々胸に抱く考えの中心でありますが、それでもちょっとこれは!?と思うようなことが多すぎるのは驚くばかりで(それもここには書けないようなひどいケースも少なくない)、それが冒頭に書いた「感動」なのであって、もはや感動でもしている以外にはないというところなのです。
人は何かと言えば、ちょっと上から目線で「ちょっとしたこと」「くだらないこと」「些細なこと」などと大人ぶって言いますが、マロニエ君は実はこれには猛反対で、人間が日々の生活を快適に送るための生活実体というものは、要するにくだらないこと、ちょっとしたことの連続なのであって、それらがあるていど妥協できる範囲に収まっていないことには、人間関係はやっていけません。
そこで最後に勝つのは視野の狭いマイペースの人なわけです。