東北の震災以来、その復興支援のためのコンサートが数多く開かれました。
それが本来の目的に適った通りであるならば、大変素晴らしい結構なことであるのは言うまでもありません。中には内外の著名な超一流のアーティストがまったくのノーギャラで行った本格派のコンサートなどがいくつもあったようで、そういうものには素直に感謝と敬服の念を覚えます。
しかし、世の中、そう麗しいことばかりであるはずもなく、マロニエ君のような人間の目にはどうも不可思議に映るものも少なくありません。
正直を言うと、中には「復興支援」の文字に違和感を覚えるコンサートがかなりの数含まれている気配を感じてしまいました。
本来の復興支援のためのコンサートというものは、いわゆる有名アーティストが、その自分の集客力を使ってお客さんを集めてコンサートをし、その収益金を被災地/被災者に寄付するというものです。
ところが、震災後にこの復興支援に名を借りた、わけのわからない正体不明のコンサートが無数に開かれた(現在もまだ続いている)のは、偽善的な悪乗りのような気がしてしまいます。
もちろんすべてとは言いません。有名アーティストでなくても、純粋な動機と内容で行われた復興支援コンサートも中にはあったことでしょう。
しかし、チラシを見ただけでも胡散臭い感じのするものもあって、復興支援の名の下に、これ幸いにコンサートを開くということを思いついたものも相当あった気配は否定しようもありません。
いっぱしに「収益金(の一部は)は被災地に寄付」というような文言はあれども、さてそのうちどれだけ寄付するのかさえわかりません。
コンサートに来たお客さんに後日、寄付の明細を報告するわけでもありませんし、極端な話、集まったお金からたった1万円寄付しても、言葉の上ではウソにはなりませんから、この手の合法的で限りなく自己満足に近いコンサートはずいぶん行われたと思います。
事はなにしろ寄付であって義務ではないために、多くがアバウトで、善意善行として追跡調査もされない性質のものであるのは、さらに都合の良いことでしょう。
復興支援の看板をかけさえすれば、自分達のコンサートの恰好の口実にもなるし、演奏機会はできて、社会貢献までやったことになり、おまけにちょっとした小遣い稼ぎにもなれば、見方によってはほとんど一石三鳥の世界かもしれません。
日本人は世界的にも信頼のおける優れた民族で、災害時に略奪や暴動などが起こらないなど、外国人の目には驚くべき長所がある反面、ほとんどなんの関係もないような事にまで「復興支援」などというお題目を立てて、このいわば災害特需にあやかってしまうという、暗くてみみっちいクセは…あると思いますね。
まあ、無名奏者のクラシックコンサートなどは、もともとどう転んでもろくに儲からないものだから、それをネコババといってもたかが知れていますが、そんな限りなくグレーな気配のある復興支援コンサートはまだまだ続いているようです。