楽譜の版

同じ作曲家の作品でも、出版社や校訂者によってさまざまな版があるのはよく知られています。

演奏者によっては自分はどの版を使っているか、事前に明示する人などもいますし、コンクールなどは指定の楽譜があったりと、この同曲異版をめぐってはあれこれの事情があるようです。

マロニエ君はこの問題を、大事ではないとは決して思いませんけれども、実際の演奏結果の要素の9割以上はその演奏家の本質的な音楽性に拠るものだと思っています。
ましてや素人のピアノ弾きが知ったかぶりをしてどうのこうのと言うのは失笑してしまいますし、無数にある音符のひとつがどうしたこうしたといって、とくにどうとも思いません。

ピアノの先生などで、趣味でやっている生徒が楽譜を買う際に、さも尤もらしく版の指定などをうるさくいう人がいるそうで、オススメ程度ならともかくも、それじゃなくてはダメだというような主張は少々ナンセンスだと思います。
真実そう信じての事なら、その先生のおっしゃる根拠を具体的に伺いたいものです。
もちろんショパンコンクールに出場するような人が、指定のナショナルエディションを使うというような場合は別ですけども。

繰り返しますが、どの版を使うかがまったく無頓着でいいとは決して思いません。
しかし、それを言っている人がどれだけその違いを理解しているかとなると、甚だ疑問で、ほとんどナンセンスの領域である場合が少なくないと感じるのが率直なところであって、大半の人はそれ以前の段階でもっと磨くべきものがあると思います。
ほんとうにそれを言うのであれば、実際に何冊も買ってみて、弾いてみながら丹念に検証してみるぐらいの覚悟と裏付けが必要だと思うのですが。
さらに、この版の問題は研究の進捗によっても変わってくるもので、優劣を決するのは非常に難しい問題でしょう。

外国にはどれだけいいかげんな楽譜があるのかは知りませんが、少なくとも日本で現在売られているようなものであれば、だいたい信頼性もある程度あり、そんなことに拘るよりは、与えられた楽譜からどれだけ充実した練習をして、より品位ある音楽的な演奏をするかということに心血を注ぐほうがよほど重要だと思うわけです。

たしかに版によってはちょっとした音が違っているとか、装飾音の入れ方、強弱の指示の有無、指使いやフレーズのかかり具合などが異なる場合がありますが、それらを問題とするよりも、もっと先にやることがありはしないかと言いたいわけです。
もっと基本的な作品の解釈や、数多くの優れた演奏を聴くことなど、弾く人の基本的な音楽性を磨く姿勢の方が百倍も重要だと思います。

マロニエ君も曲によっては何冊もの異なる版の楽譜を持っているものもありますが、とくにショパンなどでは本当に自分が納得できるものはどれかと言われたら、即答できるものはなく、数種類からのブレンドのようなものになるし、それも要は自分の主観に左右されます。
どうもそういうことを言いたがる人は、それが高尚で玄人っぽいことだと思っているのかもしれません。

そもそも、音楽的な人は、どの版の楽譜を使っても音楽的に弾けるわけで、基本はそういうものだということを忘れてはいけない気がします。
いくら高価で権威ある楽譜を持っていても、要は弾く人そのものに土台となるべき音楽性がないことには、ただ無神経に指運動的に弾いてしまうのなら、どの版を使ったってさほどの意味は感じません。

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