この土日の二日間にわたって福岡地方としては大雪になりました。

降雪地帯ではないので、年に一二度見るかどうかの珍しい光景ですし、地域そのものが雪に慣れていませんから、雪が降るとみんなすぐに外出を見合わせたりするようです。

いまさらですが雪の特長の第一は、まったくの無音だということに驚かされます!
雨なら音や湿度などでわかるということもありますが、雪はまさに忍者のように足音もなく近づいてくるようで、気がついたときにはあたりが薄化粧をしたようになり、ふだん見慣れぬ白い雪が懸命に降り注いでいる光景は心がハッとするようです。

通常、福岡の雪なんてちょっとの時間降るぐらいがせいぜいで、積もるということはまずありませんが、この二日間はそれではなくて、それなりに積もって見事な景色を作り出してくれました。
そして、たまに陽が射してきたときには、その雪の白さを反映して部屋の中までパッと明るくなるのは、なんとなく心の中まで光が照らされるようでした。

とりわけ木々の枝という枝にまんべんなく積もった雪は、まるで冬の枯れ木が一気に満開の桜のようで、静かな華やぎがあり、その思いがけない変化には息を呑むようです。
昨日の朝には、更に夜中の間に積もった雪が太陽の光を受けて溶け出したらしく、家の窓から見ているとバサバサとあちこちの枝から積もった雪の固まりが降り落ちてくるのですが、これが家の周りで間断なく続いている状況はなんとも風情がありました。
降っているときは舞台の一場面のようでしたが、こちらはまさに見事な日本画のごとき美しさでした。

向かいのマンションでは、わずかな雪を掻き集めて一家が雪合戦をやったり小さな雪だるまを作っていましたが、ちょっと見ているとこれがいささかヘンテコな光景でした。

何かというと、若い両親は写真撮影に余念がなく、雪合戦さえもしばしば中断させられて、要するに写真撮影のほうが主たる目的のように見えました。
互いにカメラを持ち替えては、メロンを二つ合わせたぐらいの雪だるまを抱えた子供とパチリ、雪を投げてはまたパチリと、ただ素直に自然に珍しい雪で遊んでいる感じ…というのとはちょっと微妙に違うニュアンスを感じました。

たぶんそれをパソコンに取り込んで、保存したり、ブログやホームページにアップするのだろうという、先の狙いが透けて見えてしまうようで、そう思いはじめると不思議に冬の風物という気配も、一家のほほえましさもすっかり割り引かれてしまい、一家総出でひとつの目的のための証拠作りをしているようにしか見えなくなりました。

こう書いてしまうと、マロニエ君のものを見るレンズが皮肉めいているように思われるかもしれませんね。たしかにそうかもしれません。
それを否定はしませんが、しかしそういうものは不思議に伝わってくるもので、あれはやはり雪ひとつでも有効活用したいという現代人の思考回路というか、行動パターンだったように思います。
まあ、そんなことをこのブログにわざわざ書いているマロニエ君も似たようなものといえばそうかもしれませんが、やはり家族の笑顔や遊びまで、どこかやらせの臭いがするのはがっかりしますね。

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