ロシアの今

BSのN響の定期公演で、ロシアのニコライ・ルガンスキーがプロコフィエフのピアノ協奏曲第3番を弾いていました。
この人はかつてロシアのバッハ弾きとしてその名を馳せたタチアナ・ニコラーエワ女史の弟子に当たる人で、ロシア系ピアニストの特徴であるたくましい指のメカニックを持った人というのは確かなようでした。

すでにエラートレーベルからCDなども数多く出ていて、お得意のラフマニノフなど何枚かは手許に持っていますが、買って何度か聴いてみると、以降はパッタリと手に取ることはなくなりました。いらい、ただ危なげなく弾いているだけで、それ以上の何かがないというのがこの人のイメージでしたが、それが間違いでなかったことを、この放送でもあらためて確認することになりました。

あの難しいプロコフィエフのピアノ協奏曲を確かな指さばきによってそれなりには弾いていましたが、不思議なほどそれだけで、なんの感銘も個性もない、見た目ばかりで味のない宴会用の食べ物みたいでした。
さらに言うと若干リズム感がよくないことが、演奏という時間の流れの中で、あちこちにわずかな歪みが生じるところも気にかかりました。

もともとロシアのピアニストというのは、タッチが深く、和音には厚みがあり、ときに強引なくらい感情を露わに音楽をこってりと歌い上げるのが特徴で、それが深い感激を覚えることもあれば、ときにはげんなりすることもありますが、全体には器が大きく、率直で人間くさい演奏をするのが常道でした。

然るに、このルガンスキーはまったく肉感のない痩せぎすのような音楽で、聴いていてどこに重点が置かれているのやらまったくわからない演奏で、それでそのまま終わってしまいました。
ピアニストとしてステージ演奏をする以上、素晴らしい技術をもっているのは当たり前としても、その上でその人なりの練り込まれた固有の音楽が聞こえてこないことには聴く意味がないと思います。

時代も変わって、ロシアもこういう味の薄い、コレステロールゼロみたいなピアニストが出てくるのかと思ってしまいました。

それに時を同じくして、昨年リニューアルされたボリショイ劇場のシリーズで、ボリショイバレエの「眠りの森の美女」も放映されましたが、これも中身はルガンスキーと同じでした。眩いばかりに生まれ変わった劇場、さらには一気に新しく豪奢に作り替えられた装置や派手すぎる衣装など、表向きはたいそう新しく立派になっていましたが、踊りのほうは現在の看板スターであるスヴェトラーナ・ザハロワ演じるオーロラ姫も、技術は立派ですがなんの感銘も得られないもので、ただ決められた難しい振付を次々に消化しているだけという感じでしかなく、こちらにも落胆させられました。

主役のオーロラ姫は16歳という設定ですから、踊り手はその若くて愛くるしい様を表現し、バレエとして踊り演じなければなりませんが、暗くてねっとりした大人の踊りで、老けた女性が娘の借り着をしているようでした。
昔は同劇場のオーケストラもピアノと同様、迫力のある分厚い響きでロマンティックにぐいぐい鳴っていたものですが、これもまたすっかり筋力の落ちたアスリートのようで、火が消えたようなつまらない演奏で、これじゃあチャイコフスキーもご不満だろうと思います。

いまは世界的に、なんでも人の手で作り出す昔ながらのものは文化芸術はもとより、ありとあらゆるものが質が落ちて小さくなっていることは否定しようもありません。
そのくせ、表面的にはより鮮やかで先鋭的で、人の目を惹きつけはしますが、実体はスカスカの軽い内容でしかないのは甚だ残念でおもしろくありません。

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