ホールの実情

ホールとピアノの音の関係というものはそれとなく観察としていると、お似合いの好ましいカップルが出会うように難しいもんだとあらためて思いました。
そして、概して言える不思議な現象というのがあって、少なくとも福岡に限って言えば、それなりのコンサートをこなす有名ホールでは、どこもそれぞれに音響がよろしくないほうが多いし、むしろちょっと郊外のホールなどに思いがけなく素晴らしいものがあったりするというのが現実です。

音響のよくないホールでも、一部にはそういう意見を管理者側が汲み上げて改修作業がなされ、いくぶん聴きやすくなったものもあり、そういう場合はひと安堵というべきでしょうが、しかし、良くないものを後から手を加えて改善策を講じたものと、はじめから良い音に生まれついたホールというのでは、根本に超えがたい違いがあるようです。
そういう意味ではホールというのも立派な楽器だと言うべきかもしれません。

昨年、機会があって行ったホールもそれなりに名の通ったホールで、その規模、内装の色調やセンスなどもなかなかのものとお見受けしましたが、シロウトのマロニエ君の耳にさえ音響が良よろしくない。
この場合は、やたら響きすぎるだけの音楽専用ホール風の響きとは少し違って、音に芯が無く、パァーっとばらけて散ってしまう感じの音響でした。
どこに原因があるのかなんてマロニエ君にはわかりませんし、見た感じはたいへん立派な感じの良いホールであるだけに残念というか、音響というものはやはり難しいものなんだなあと思わずにはいられませんでした。

このホールで聴いたのはピアノリサイタルだったのですが、音が響いていないことはないけれども、その響きに方向性と流れがなく、楽器から出た音に流れがなくバラバラになってしまい、いうなれば伸びやかさと収束性に欠けるものだったわけです。
ただし、簡単には良し悪しを断定できないことも経験的にあるのです。
マロニエ君はここで何度もいろいろな楽器の演奏を聴いたわけではなく、この響きが恒常的なものかどうかはわかりません。もしかするとただ単にピアノの位置が悪かったということも考えられます。

以前に何度か、ピアノリサイタルのステージのセッティングに立ち会ったことがありますが、ステージ上のピアノはその位置を手前か奥に少し変えるだけで客席に到達する音がコロコロ変わります。ちょうど映写機のピントをスクリーンに向かって合わせるようなものでしょうか。
理想的には客席に耳の良い責任者がいて、ピアニストがピアノを弾きながら、10センチぐらいずつ位置を変化させていくと最良の音響スポットが見つかるはずですが、もちろんホールによってはどうしようもないところもあるわけで、限られた条件内で調律師やピアニストは最良の判断をして、これだという位置決めをしてほしいものです。

ホールといえば、マロニエ君のような車族にしてみれば、市の近郊ならどこでもいいので、いろんなよいホールでコンサートを聴きたいと思うのですが、一般的には電車やバスのアクセスが悪いと集客が見込めず、どうしても街中の決まりきったところばかりが使われることになるようです。
郊外に点在する素晴らしいホールも少しはそれらしく使わなくてはもったいないと思うのですが…。
せっかく良いホールを作っても、場所が悪いことを理由にほとんど永久にこれといった本物のコンサートが行われないのでは、いったいなんのために巨費を投じてそうした施設を作り、さらには高額な管理費をかけて維持いるのかという気がします。

こういう郊外型施設ではホール主催のイベントなどが最大のコンサートのようですが、それでも関係者は怖がってなかなか大きなことをしません。せいぜい二流芸能人の歌謡ショーとか地元のアマチュアオーケストラ、よくわからない合唱団など、どっちつかずの催しばかりというのでは、ホールは箱物作りで潤うゼネコンの金儲けに利用されただけとなるでしょう。

そういうホール同士が連携して、ラフォル・ジュルネのような安くて良質の音楽が聴ける音楽祭などをやってみるなどしたらどうか…なんて思いますが。

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