メールと電話

電話で会話すればなんの問題もなくスムーズにいくことが、メールであるがためにつまづいたり誤解が発生したり、なんらかのストレスの原因になることってあるものです。

常々、マロニエ君は現代人のストレスや暗さの原因の一端は、直接人と触れ合わないメールなどのせいではないかと考えています。

ネットの功罪などを言い立てるキリがありませんが、少なくとも連絡手段としてのメールの普及は、数知れない利点がある反面、その利便性の副作用として犠牲になったものも甚大だというのがマロニエ君の見解です。

その点で、電話は顔は見えなくても少なくともナマの会話ですから、双方の言葉の調子やニュアンス、テンション、笑いなどの様々な人間的要素を総合しながら伝えることができますが、メールはそうはいきません。

思いがけないタイミングで、思いがけない内容のメールを受け取ったときの不快感というのは、意外に見過ごすことのできない深刻さがあります。
同じ人間が、同じ内容を伝えるにも、電話とメールでは受ける側の印象には雲泥の差があると思います。

少なくともメールではよほど誤解されないようにするためには、表現や言葉遣いも相手に媚びるほど、過剰な気を遣わなければならないことも少なくなく、もっぱら安全確実なことだけを書くようになり、直接会話にある一種の危ないスレスレの会話の楽しさなんて望むべくもありませんが、ここにこそ、人の感性やバランス感覚などの機知が潜んでたはずです。
もちろん文字情報を正しく伝える、内容を記録として残すなどの場合は別ですが、闇雲にメールへの依存度が高まってしまっているのは否定できません。

そういうわけで、マロニエ君は電話でもメールでもどちらでもいいと判断する場合は、ほとんど迷うことなく電話にする主義です。

そもそも連絡手段の大半をメールに依存している人というのは、活きた人間関係を重要と考えず、メールという一方的な連絡手段のほうが性にあっているのだと思われますが、そのぶん直接の会話でしか得られないものや確かな人間関係を構築が難しいという、慢性病的な一大欠陥が横たわっていることには気付いていないようです。
ひとくちにいうと、すべての連絡を抵抗なくメールでするような人には、信頼できる友人知人(あるいはビジネスの相手でも)はまずできないと思われますが、巷ではこういう人ほど友達を求め、それを数多くキープしたがるというのですから、その意識のズレには苦笑させられます。

つい先日も、あることで受け取ったメールが金銭絡みのオヤッと思うような思い違いのある内容でした。そこですかさず電話で直接話したところ、案ずるより産むが安しの喩えの通り、お互いの認識はたちまち確認できて事なきを得ました。
しかしこれをもしこちらもメールで返していたら、いちいち細かいことを説明しながら文章を書くのは骨が折れるばかりでなく、その往復にはそれなりの時間も費やして、その間は嫌な時を過ごすことになるのは目に見えています。

それが電話で明るく話をすればあっという間に事済みになるのですから、だいいち時間効率も圧倒的にすぐれているし、ついでに相手とはちょっと無駄口のひとつも交わしておけば、言うことなしのめでたしめでたしです。

現代人はメールをはじめとする便利なツールに囲まれて、人間性を喪失してまでそれを使いこなすことにエネルギーを費やして、日々精神的に孤独になっていることはもはや疑いようがありません。
きちんとした挨拶ができない、相手に対する本当の気配りや礼儀がない、大胆さがない、生きた人間の魅力がない、敬語と謙譲語のしなやかな使い分けができない…などなど、これらは人との関わりという点が稀薄になっていることの明らかな病症だと思われます。

電話でなくメールにする人の理由として最大のものは、「相手に迷惑をかけないから」ということのようですが、少なくともマロニエ君に限っていえば、どんなに悪いタイミングでかかってきても、それで電話の主を迷惑だなんて思ったことはないし、メールより嬉しいことは間違いありません。
というわけで、これからも可能な限り「電話主義」で行きたいものです。

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