以前に若い男性のトロトロ運転が目立つことを書きましたが、それに関してつい最近、テレビニュースでさらに驚くべき情報を入手しました。
異様に遅いスピードで走る人達が最近路上に増えていることはやはり確かなようで、なんと、その中にはひたすら省エネ運転を実行しているという一派もあるのだそうです。
たしかに燃料を減らさないために、急加速などをしない、あるいはアクセルを踏み込む必要をできるだけ減らすために、スピードもできるだけユルユルした一定した速度で走るというものですが、そのみみっちさには呆れかえりました。
アクセルを踏みすぎず、極力一定速度で走り続けることが燃費を良くするのはそうだとしても、そのために速度を変えずにまわりに迷惑をかけるような流れのないマイペースの運転をするのでは、これは自分だけ止まろうとしない自己中の自転車の走りと基本的に共通したものがあると思います。
ちなみに自転車の傍若無人の走りの原因のひとつが、いったんスピードを落とすと、旧に復するのにまた自分の足でペダルを漕いで力が要るからという側面があると思われます。
車もこの部分がガソリンを消費するところだから、できるだけ速度を落とさずケチケチ走ろうというところなんでしょう。
さらに驚いたのは、そのチンタラ運転による退屈をしのぐために、あろうことか運転中に携帯の端末などをいじりはじめるというものでした。これでは二重の危険運転というべきで、それで事故でも起こした日には、燃費がどうのどころではない大事になるというのに!
現代の車にはエコドライブのためのインジケーターの類がついている場合が多く、エコ運転ができているときには緑のランプが点いたり、アクセルの踏み加減に応じて瞬間燃費をいちいち表示するものなどがあり、たしかに人間はそういうものがあるとそれに何らかの影響をうけることはわかります。
しかし、その倹約運転を最優先するあまり、始終他車に迷惑をかけたり危険運転になったりするというのは本末転倒も甚だしく、それを若い男性がこぞって(しかも自主的に)やっているかと思うと、なんと薄気味悪いことかと思います。
安全が疎かになっているということを意識して尚、倹約運転をやっているのならその神経は大したものですし、それさえもわからない無神経ということもありそうで、いずれにしろ救いがたいというべきです。
お気の毒といえばそうなんですが、バブルの崩壊以降に育った人達の財布の紐の堅さときたら呆れるばかりで、堅実といえば聞こえはいいですが、暗くて陰気くさい老人のようで、ほとんど人生にダイナミズムというものがなく、当然ながら思考力までみみっちいことにばかり働かせているのは驚くばかりです。
不本意でも必要があってやむを得ずする倹約と、倹約そのものが血液となり細胞となって人格を形成している場合では、まったく性質が違うと思うのですが…。