不燃物処理事情1

このところ数日をかけて、ガレージ(慢性的な物置と化している)の大掃除を何年ぶりかで行いました。
ガレージという性質上、そこから輩出されるゴミは大半が「もえないゴミ」ということになります。
市が指定している専用のビニール袋に入れて月一回の回収日に出せば大半は問題なく処分できますが、中にはとうていそんなものに入れるわけにもいかない…というものがあります。

たとえば大きな鉄の棚枠とか、大型の室内用フロアランプ、もう使わない大型の油圧式ジャッキ、交換済みのバッテリーなどはとても市の指定の袋には入りませんし、無理して押し込んだところで、たちまち切れたり破れたりということになってしまうでしょう。

さて、以前も書きましたが、燃えないゴミの回収日は、外が暗くなると、表の道は、にわかにリサイクル業者のような人達が軽トラックに乗ってひっきりなしに往来をはじめます。
以前驚いたのは、出していた我が家のゴミを、市の回収業者が来る前に、袋ごと持ち去られてしまったことでした。袋の中は空き瓶や空き缶を中心としたもので、べつに見られて困るようなものはありませんでしたが、そうはいってもなんとも不気味な思いをしたものでした。

彼らはマンションのゴミ収集場所などに躊躇なく入って行き、欲しい物だけを手に戻ってきては、それをポンとトラックの荷台に投げ入れて足早に去っていきます。一晩中これが繰り返されて、あたりは変な賑やかさに満たされるのです。

これ、ひとくちに言うと、彼らは具体的になにを欲しがっているのかまではわかりませんが、とにかく自分達が欲しいと思うものを探し求めてあちこちを回っているようで、その行動力は妙に腰の座ったものがあるように見受けられます。
再利用できるもの、あるいは資源ゴミになるようなものをどこぞに持ち込んで売りさばくのだろうとは思いますが、それ以上のことはわかりませんし、住民としても捨てたものである以上、その行方がどうなろうとも別に知ったことじゃないというわけです。

もちろん世の中には、何事にも厳格で口うるさい人がいますから、こういう事にも異議申し立てや抗議をするような人もいるかもしれませんが、マロニエ君としては我が家の不必要なものが普通に処分できるのであれば、それ以上の不満も文句もありません。

以前驚いたのは(他県でしたが)テレビニュースの特集で、古紙の回収日に市の指定業者以外の個人レベルの人達による古紙類の持ち去り問題が取り上げられ、それこそ何日も地域に密着し、画面にはモザイクをかけながら、えらくご大層に取材していましたが、そのテレビ局の扱い方は、古紙の持ち去りがまるで万引き犯や泥棒を追跡するのと同じようなニュアンスで、これには甚だ首を傾げました。

古紙などは、出す側にしてみれば、邪魔なものが処理してもらえればそれで御の字であって、回収している人が誰であるかなど考えたこともありません。行政の担当者はマイクを向けられて「古紙の処分代も市の貴重な財源です!」などと尤もらしく言っていましたが、見ている側はどうにももうひとつ同調できません。

いくら「持ち去り」などと言葉ではいってみても、もとの所有者はそれらをゴミとして捉えて集積場所に出した以上、すでにその所有権を放棄したわけですから、それを指定業者以外の個人が持ち去ったといってさも大事のごとく糾弾するような性質のものだろうかと思いました。
そんなことを何日も物陰に張り付いて取材する暇があったら、たとえ地方であっても腐りきった役人や政治腐敗、あるいは民間企業であってもそこらに転がっているはずの許しがたい不正行為など、本当に社会問題と呼ぶにふさわしいものこそ存分に取材しろと言いたくなりました。

…以下続く。

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