NHKのBSで放送された、ジュゼッペ・スカルラッティの歌劇「愛のあるところ 嫉妬あり」の本編が始まる前に、イントロダクションとしてメーキングのドキュメントがありましたが、これはなかなかに印象深いものでした。
チェコ南部、世界遺産の古都チェスキー・クルムロフにあるチェスキー・クルムロフ城の中にバロック劇場というのがあり、そこでこのオペラが200数十年ぶりに復活するというものでした。
この城の中にあるバロック劇場でのオペラ上演は歴史の中で幾度も途絶えるなど、ときの為政者の意向によってそのつど興亡を繰り返してきたようです。
今回の復活上演では、初演当時のオリジナルを忠実に再現するほか、装置や小道具などもすべて往年のスタイルが用いられました。
驚いたことには、この劇場の緞帳の上げ下げはもちろんのこと、装置の転換など、舞台上のありとあらゆることが手動で行われるというものでした。
舞台下には、無数のロープが張り巡らされ、その端には木で作られた舟の舵取りハンドルのようなもののさらに大きいのがいくつもあって、それを数人の男がせっせと動かすことで、幕が上がったり装置が動いたり、背景が転換されたりと、まさに人力によってすべてが成り立っています。
また照明も電気を使わず、舞台手前の大きな金属の覆いの中にはたくさんの蝋燭が並んでいて、その光りを金属板が舞台方向を照らし返すことで役者の顔や身体を照らします。
またオーケストラピット内も照明はすべて蝋燭で、所狭しと並んだ楽譜や弦楽器に燃え移りはしないかとひやひやするほどでした。
オーケストラといえば、指揮者はもちろん、すべての団員までもが鮮やかな衣装とかつらをつけて、顔には例外なく真っ白な化粧をしています。
意外だったのは、普通のオペラでは客席から見て指揮者が中央で背中を向けて、舞台を見ながら左右に広がるオーケストラを指揮するものですが、ここでは指揮者はピット内の左側に横向きに立って、縦長のオーケストラを指揮しており、昔はこういうスタイルもあったのかと思いました。
もちろん出演者もクラシックな出で立ちで、立ち稽古中にも、古典作品ならではの動きや表情に事細かく注意を払っていて、現代では決して味わうことのできない往年のオペラを楽しむことができました。
照明や手動の道具類がそうであるために、舞台のすべてが喩えようもなくやわらかな光りと空気に包まれており、なんという優しげで美しい空間かと感嘆させられました。
唯一思い出したのは、映画『アマデウス』の中で出てくるフィガロやドン・ジョバンニ、魔笛などの舞台がやはりこういう調子だったことで、近年はピリオド楽器による古楽演奏がこれほど盛んになったぐらいですから、オペラのほうもこのような徹底した古典技法にのっとった手法でやってみるのもひとつの道ではないかと思いました。
それにしてもこのオペラのみならず、城の内外の様子を見るにつけ、ハプスブルク家を中心とする中央ヨーロッパの権勢と、そこに咲き乱れた文化の花々はおよそ想像を絶する桁外れなものだということを、いまさらながら思い知らされた気分でした。
マロニエ君はむやみに古いものを礼賛する趣味はありませんが、こういう「本物」というべきものを見ると、古いものの魅力には現代に比しておよそ底というものがないような気がしました。