『桜の詩』

つい最近、知人から珍しいCDをいただきました。

なんと、この方のお父上が作詞・作曲をされた歌がプロの手によって編曲され、それをヴォーカルの女性が歌ったものがきちんとした製品としてCD化されているのですが、それをよかったら聴いてみてくださいと託されました。

マロニエ君は普段はクラシックしか聴きません。
べつにクラシック以外を聴かないと決めているのではなく、クラシックがあまりに広く奥深いので、それ以外の音楽ジャンルにまでとても手が回らないというのが偽らざるところなのです。
そして気がついたら、クラシック以外の音楽ジャンルのことはなにも知らず、いまさらCDを買おうにも、どこからどう手をつけていいかもさっぱりなわけです。

ですから、たとえば松田聖子の歌なんかを偶然耳にして、なかなかいいなぁ…と思うこともあれば、ちょっと縁あって聴いたジャズのCDが気に入って、しばらくそれを聴くというようなことはありますけれども、そこからあえて別ジャンルに入っていこうというところまでの意欲はないし、だいいちクラシックだけでもとてもじゃないほど無尽蔵な作品があるので、どうしても馴染みのあるクラシックという図式になってしまいます。

ですから、こうして人からきっかけを与えられた場合がマロニエ君が他の音楽を聴く数少ないチャンスでもあるのですからとても貴重です。

さて、このCDはペンネーム三月わけいさんという方の作品で、『桜の詩』『草原の風』という2曲が入っていましたが、はじまるやいなや、淡いほのぼのとした叙情的な世界が部屋中に広がり、メロディも耳に馴染みやすいゆったりした流れがあって、すっかり感心してしまいました。

印象的だったことは、日本人のこまやかな感性と情景がごく自然な日本語で描写されていて、どこにも作為的な臭いやわざとらしさがないことでした。

日本人は桜というとやたらめったら大げさに捉えがちで、あれが実はマロニエ君は好きではありません。
お花見も今やっているのは本来の在り方からはまるで逸脱したようなもの欲しそうなイメージがあり、気品あふれる桜とことさらな野外宴会の組み合わせが、すっかりこの季節のお馴染みの風景になってしまって、いつしか静かに桜を愛でるという、穏やかで自由な楽しみ方が出来なくなったようにマロニエ君は思うのです。

そんな中で、この『桜の詩』には人の喧噪も宴会もない、ありのままの桜とそこに自分の心を静かに重ねることができるやさしみがあり、このなんでもないことが、むしろ新鮮な感覚でもありました。
押しつけがましさのない、自然な詩情にそよそよとふれることで、人は却って無意識に惹きつけられるものがあるのかもしれません。
http://www.youtube.com/watch?v=MnrhRTupt-g

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