ルール好き

外国人から見ると、日本人は規則が好きだとよく言われますが、それはたしかに否定できません。

日本人は礼節ある優秀な民族だとは思いますが、個々の人間が、自分の良識や感性、広くは教養によって臨機応変に物事を判断していくよりは、頭上にある規則に従うほうが性にあっているようにも感じます。
この点、自分は違うと言うわけではありませんが、日本人のマロニエ君にさえ、さすがにちょっと首を傾げる部分がしばしばあるのも事実です。

最近目にしたある音楽雑誌によると、近ごろではホールに於いても、花束を客席から直接渡すことを規則で禁じているところがあるとかで、それを受け取ろうとして関係者の手で遮られたキーシンが、帰りしなに「花は直接もらったほうがうれしいものですよ」というコメントを残したという一幕もあったとか。
そもそもクラシックのコンサートで花束を渡すことを禁止するというのも、その文化意識の低さたるや驚きですが、せめてそうまでする理由ぐらい明確にしてほしいものです。
ただ受付に託すだけなら、安くもない花を持って行く人なんていないでしょう。

規則というものは、もちろん社会ルールの維持のためには大いに必要なことは当然ですけれども、これをむやみに乱発するのは感心できません。
規則が昔から大好きなのがお役所や学校ですが、最近ではサービス業が主体のお店などでも、かなり無遠慮に決まりを作って、店員が堂々とそれを盾にした発言をお客さんにするのはまさに主客転倒というべきで、大いに違和感を覚えるところです。

規則というのは人を縛るものである以上、その制定と運用にはよくよくの慎重さをもって取り扱わなければいけないことですが、中には何か面倒があるとすぐにそれを禁ずる規則をお手軽に作ってしまう風潮があるのは、あまりに見識に欠けていると言わざるを得ません。
尤も、自己判断ではできない事柄でも、いったん規則となるとえらく従順になってしまうという場合が多いのも、日本人独特の不思議な性質にもよるのだろうと思います。

その最たるものは、お店のポイント制度などは、もっぱら店側の都合ばかりでルールが定められ、内容も随時ころころ変わり、その都度、客側が従わされることになるのは、まるで権力を振りかざされるような気分です。
しかし、大半の人はそれに異論も唱えずスムーズに従うようで「規則だから仕方がない」と無意識に反応してしまうようですから、これが日本人のDNAなのでしょうか。

ネット通販やソフトの同意規約なども同様で、これを一言一句読む人もめったにいないと思いますが、それをいいことに大半は最終的には店側に都合のいい決まりを列挙して、「同意」という担保をとりつけるのはいかにもな遣り口としか思えません。

また趣味のサークル等でも、この規則をやたらと乱発するところがあり、しかも泥縄式に細かい規則を作っては構成員に申し渡すというケースがあって驚きます。
内容も、ほとんどどうでもいいような、各人の常識に委ねれば済むようなことまで事細かに定められていたりしますから、このあたりは専らリーダーの性格しだいのようです。

永田町を筆頭に、人間は自分がルールを作る側・決める側になるということに、ある種の支配欲を刺激され、言い知れぬ快感があるのかもしれませんね。

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