バラードの背景

青澤唯夫著の「ショパン──優雅なる激情」を何とはなしに通読しましたが、後半の作品解説の部分で、思わず鳥肌が立つような文章に出会い、なんとも形容しがたい鮮烈な気分に襲われました。

たとえばこれ。
『昔、リトアニアの深い森の湖にまつわる神秘的な謎を解こうと決心した勇敢な騎士がいて、湖に大きな網を投げて引き揚げてみると、なかに美しい姫君が入っていた。姫の話によれば、その昔この湖畔も立派な町であった。あるときロシアとの戦争が起き、女たちは捕らわれの身になるよりは死を、と神に祈った。たちまち大地震が起きて城も町もみんな湖中に没した。女たちは水蓮に化身して、手をふれる者たちを呪った。その水の国の姫君は、同族の出である騎士に危害を加えようとはせず、これ以上湖の神秘をあばくでないと言って、水のなかにすがたを消した』

いったい誰が何について語られたものかというと、ショパンと同郷の亡命詩人アダム・ミツキェヴィチの詩の内容で、彼はポーランドでバラードが文学的形式として取り上げられるようになった19世紀初頭にそのジャンルの頂点を築いたといいます。
そしてショパンはミツキェヴィチの詩にインスピレーションを得て一連のバラードを作曲したと伝えられているそうです。

上の詩はバラード第2番の背景にある物語として、ミツキェヴィチの「ヴィリス湖」の概要が紹介されていました。
曲を思い出してみると、まったく納得できる曲想と内容であることがたちまちわかって、「へええ、なるほどなあ…」と納得してしまう気分になりました。
美しい第一主題の旋律のあとに突如湧き起こる、激情の上り下りはそんな悲劇を意味していたのかと思わせられます。
この第2番のバラードはシューマンに捧げられ、その返礼としてシューマンは「クライスレリアーナ」をショパンに贈ったのだとか。いずれも文学に触発されたピアノ曲の傑作というわけですね。

さらにもっと驚くのはバラード第1番についての物語。
『リトアニアが十字軍に敗れて独立を失い、七歳の王子コンラード・ワーレンロットは捕虜となった。敵方の首領の養子として成長した彼はやがて十字軍きっての勇敢な騎士となって、首領に選ばれる。そこで彼は知略をめぐらし、母国リトアニアを独立させることに成功するが、自分自身は十字軍の裏切り者として処刑される』

どうです?
思わずゾッとするほどの内容的な符合で、これまで何十年、何百回かそれ以上聴いてきたこの曲の、曲想や各所の旋律や運び、起伏の意味などが、純音学的に捉えてきた抽象的なドラマに代わって、これほどありありとした物語性を帯びていたのかと思うと、いかにも頷けるその内容に、ほとんど戦慄してしまいました。
しかも驚くべきは具体的な情景表現ではなく、徹底した精神的描写である点。

冒頭から最後の一音に至るまで、ショパンにしてはえらく英雄的であり同時に深い哀愁と悲劇性に満ちたこの曲の中心は、こういう宿命を辿らされた王子の心情と悲劇であるというのはまったく驚きでした。
こちらにしてみれば、ショパンの作品として純音学的に接してきたものが、突如このような背景となる話が降って湧いたようでもありますが、これは今後、この曲に触れる折に切り離して音だけを聴くことはできなくなってしまったかもしれません。

尤も、著者もいっていますが、ショパンのバラードは決して標題音楽ではなく、情景をリアルに活写したものではなく、あくまでも根底にある「イメージ」であり、そこにショパンが着想を得たにすぎないという間接的な捉え方をすることを忘れてはならないでしょう。

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