久しぶりにギャンブル買いしたCDが大当たりでした。
「長尾洋史 リスト&レーガーを弾く」というタイトルで、実は長尾洋史さんというピアニストの演奏はもちろん、お名前さえも知りませんでした。
にもかかわらず、アルバムに収められたリストのバッハ変奏曲(カンタータ《泣き、嘆き、憂い、おののき》の主題による変奏曲)と、後半のマックス・レーガーのバッハの主題による変奏曲とフーガの組み合わせに惹かれてしまい、どうしても聴いてみないではいられなくなりました。
これは国内版の3000円級のCDなので、すでに何度も書いているように、マロニエ君は今どき内容の分からない日本人演奏家のCDを最高額クラスの代価を払ってまで冒険してみようという気は普段はあまりありません。
しかし、このCDにはなぜかしら売り場を離れがたいものを感じ、ついには購入することに決しました。惹かれた理由は主に選曲とCDの醸し出す雰囲気だったと思います。
果たして聴いてみると、これがなかなかの掘り出し物だったわけで、こういうときの喜びというのは一種独特なものがあるものです。
まずこの長尾洋史さん、抜群にしっかりした指さばきと知性を二つながら備わっていて、その音楽作りの巧緻なことは大変なものでした。むかし「マロニエ君の部屋」で日本人ピアニストには隠れた逸材が少なからずいるというような意味のことを書いたことがありますが、まさにそのひとりというわけで、こういう内容ならまったく惜しくない投資だったと大満足でした。
最初にジャケットを見たときに惹きつけられたとおり(顔写真さえない渋い色調のもの)、このアルバムのメインはリストのバッハ変奏曲と、レーガーの作品であることは間違いありません。両者共に普段よく弾かれる曲ではないものの、難解難曲として知られる作品ですが、これらを長尾氏はまったくなんの矛盾も無理もないまま、自然なピアノ曲として見事に演奏されている手腕には驚くばかりでした。この両曲の名演に対して、リストの「ペトラルカのソネット3曲」と「孤独の中の神の祝福」はやや表現の幅の狭い優等生的演奏で、もうひとつ詩的な深さと躍動が欲しかったという印象。
ライナーノートにある三ツ石潤司氏の文章によれば、この長尾氏の演奏は「てにおはや句読点のうちかたの誤りがない」とありましたが、この点はまったく同感でした。
この点に間違いがあると、たちまち作品は本来の立ち姿を失ってしまいます。マロニエ君としては、これに「イントネーション」の要素を加えたいと思います。いくら正確で達者な演奏ができても、イントネーションが違っていると、音楽がニュアンスの異なる訛りで語られてしまうようで、その魅力も半減してしまうものです。これは結構外国人演奏家にも頻繁に見られる特徴で、その点では却って日本人のほうがそんな訛りのない美しい標準語の演奏をすることが少なくありません。
録音はきめの細かい、ある種の美しさはありましたが、全体に小ぶりな、広がり感の薄い録音だった点は少々残念でした。そうでなかったらさらにこのピアニストの魅力が何割も上積みされたことだろうと思われますし、こういう録音に接するとつくづくと演奏家というものは、自分の演奏能力だけでは解決のつかない問題を抱えているようで、それがマイナスに出たときは甚だ気の毒だと思います。
もうひとつ、ピアノの調律はなかなかの仕事だったと思います。
新しめのハンブルク・スタインウェイから、思いがけなく低音域のビブラートするような豊饒な響きなどが聞かれて、はじめこの低音域を聞いたときは一瞬ニューヨーク・スタインウェイでは?と思ったほどでした。
やはり楽器としてのピアノの生殺与奪の権を握っているのは調律師だと思いました。
もちろん演奏の見事さ素晴らしさに勝るものはありませんが。