続・皿交換

目の前で盛大におこなわれる皿交換は、悪いことではないかもしれませんが、同席者に一定の何かの感触を与えるという事実。

もちろんパフェなんかをちょっと一口ぐらいならどうということもありませんが、ある程度食べ進んだ皿をそのままドカッと交換するのは、どこか凄味があり、目の前でやられるとちょっとヒエッと思ってしまいます。

こう感じるのは、かねがねマロニエ君だけではないはずだと思っていましたが、この点を余人に確認したことはありませんでした。
そこであらためて友人などに折あるごとに聞いてみると、案の定、イヤでたまらない、あれはやめてほしい(中には笑える)という人が数人いましたね。しかも口々に待ってましたとばかりその事に関する、これまでにたまりにたまった不平不満をぶちまけはじめます。
夫婦でも「自分達は絶対しない!」と断言する人もいて、ははぁやっぱりなあと思いました。

特につらくなるのは、麺類や丼物、中にはカレーライスまでも食べている途中で器ごと交換する人達で、こういうことにめっぽう弱い友人のひとりは「カレーライスなんて、自分が食べていても途中で汚い感じに思えてくるのに、ましてや…」とガクガクしながら言っており、なるほどなあと納得しつつ笑えました。

これがもし欧米人あたりなら、どうせ彼らは公衆の面前で平気で抱き合うような民族性ですから、あるいはサマになるのかどうかわかりませんが、少なくとも日本人には向かないというか、それを目の前で見せられるのはできれば御免被りたいものです。

そもそも日本人は、むしろそういうことははしたない事として厳に慎む側の民族で、人前では内外(うちそと)の区別をつけるというけじめといいましょうか、分別あるメンタリティにこそ日本人の品性や美しさがあらわれているとマロニエ君は思うのです。
そんな日本人でも許せるとすれば、子供か、せいぜい二十歳前後までで、あとはちょっと…。

失笑なのは、絵になりそうな美男美女ならまだしも、むしろその逆の人達にかぎって街中でもことさらべたべたして歩いてみたり、こういう皿交換みたいな行為をやりたがるようで、何かそれが心理的な空白の埋め合わせであったり、精神的な取り戻しをしているのでは?とも思います。
もしかしたら、心理の奥底には、そういう行為を他者に見られているということに一種の満足を感じているのかもしれないというような気がしなくもありません。

だとすると皿交換も一種の心理的要因を含んだ行動ということになるのかもしれず、だからこそ見ているほうも「わっ」と思ってしまうのかもしれませんね。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です