昨年のウチダ

少し前にBSプレミアムで昨年の内田光子の様子が放映されました。

ザルツブルク音楽祭2011からの室内楽コンサートと、3月にミュンヘン・ガスタイクホールで行われたバイエルン放送交響楽団演奏会からベートーヴェンの第3協奏曲で、指揮はマリス・ヤンソンスでした。

ザルツブルク音楽祭ではマーク・スタインバーグ、クレメンス・ハーゲンとの共演でシューベルトの三重奏曲「ノットゥルノ」ではじまり、これは高いクオリティ感にあふれた見事な演奏でした。
続いてはイアン・ボストリッジとの共演で、シューマンの詩人の恋でしたが、ウチダにはシューベルトのほうがはるかにマッチングがいい印象があり、シューマンではロマンティックな「揺れ」みたいなものが不足しており、肝心な部分での歌い込みの熱っぽさとか線の太さがなく、ややドライな印象を受けました。

ボストリッジの歌は、ひとつひとつのフレーズやアクセントがしつこすぎて、深くえぐるような表現に持っていこうという狙いなのかもしれませんが、ちょっとやり過ぎに感じられてあまり好みではありませんでした。

いっぽうのベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番は、これも期待ほどの演奏には感じられませんでしたし、ウチダと共演すると、オーケストラのほうでも彼女の妙技を邪魔してはいけないと考えるのか、妙に力感のないエネルギー感の乏しい演奏だったのが気にかかった点です。

ウチダのピアノはいまさら云うまでもありませんが、繊細優美で格調高いことが世界でも認められているのはもちろんですが、あまりに拘りが強すぎて、あるいは己に没入しすぎて、あちこちで曲の全体像を見失いがちになることが多すぎるのは相変わらずでした。(本人はそうは思っていないのでしょうけれど)
随所に余人には到底真似のできない息を呑むような美しさがある反面、前に進むべき音楽がしばしば停滞し、彼女の独りよがりに陥って、聴く者にしばしば忍耐を強いるのはやはり疲れてしまいます。

それでも、どうかするとこれ以上ないというほどドンピシャリにピントの合った瞬間があり、理想的な優美な音楽を聴かせるあたりが、この人の抗しがたい魅力なのかもしれません。

それと、つくづくと思ったのはベートーヴェンのピアノ協奏曲の中でも第3番はまさに作風の上でも、ベートーヴェンが独自の個性を確立したエポックな作品ですが、演奏するのは極めて難しいものであることも再確認したところです。

曲の規模や構想の大きさのわりには音数が少な目で、大胆さと繊細さの平衡感覚がよほど緻密な人でないと、この作品をベートーヴェンらしく鳴らし切るのは大変だろうと思います。細部の表現性に拘泥するよりも、ぼってりとある意味泥臭く弾ける人のほうが向いている曲のような気もします。
第2楽章は5曲の協奏曲中随一ともいえそうな魅力と芸術性にあふれたもので、ふとこのラルゴのために前後楽章が置かれているような気さえしてしまいます。

少なくともウチダにとっては第4番のほうが遙かに彼女のテンペラメントに合った曲という気がしました。

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