思いがけずマイブームになってしまったH.J.リムは、驚くべきことに、なんとベートーヴェンのソナタ全集(ただし第19番、第20番を除く)を完成させているといいますから、もしかしたら、この若いピアニストが、ウー・パイクでコケてしまった韓国人のベートーヴェンで名誉挽回するのかもしれず、懲りもせず購入検討中です。
発売は5月下旬(つまり間もなく)の由。
ちなみにネットで見るジャケットには「BEETHOVEN COMPLETE PIANO SONATAS」と書かれていますが、上記の2曲が抜けているにもかかわらずCOMPLETEと書くのは、ソナタは30曲と見なしているという意味なんだろうかと思いました。
たしかにこの2曲はソナチネだといわれたらそうなんですが…。
ともかく優等生タイプもしくはコンクールタイプの多い今の時代に、このような個性溢れる情熱的なピアニストが出現したことを素直に喜びたいこの頃です。
最後になりましたが、使用ピアノについて。
ライナーノートのデータによれば、この演奏はすべてスイスでおこなわれ、ピアノはヤマハのCFXが使われています。ピアノに関しては過日のチャイコフスキーのコンチェルト同様に、やはりちょっと違和感があって、まったくマロニエ君の好みではなかった点は残念でした。
やはりというべきは、CFXは非常に美しい音のピアノだとは思いますが、いかんせん表現の幅が感じられません。大曲や壮大なエネルギーを表現する作品や演奏になると、たちまちピアノがついていかないという印象がますます拭いきれなくなりました。
整音や響きの環境の加減もあるとは思いますが、強烈な変ロ長調の和音で開始されるハンマークラヴィーアの出だしを聴いたら、このピアノの懐の浅さがいきなり飛び出してくるようでした。
フォルテ以上になったときの楽器の許容量が不足しているのか、この領域ではこのピアノの持つ美しさが出てこないばかりか、いかにも苦しげな音に聞こえます。
金属的というよりは、ほとんどガラス繊維が発するような薄くて肉感のない音で、ときに悲鳴のように聞こえてきて、それがいっそうH.J.リムの演奏を誤解させるもとにもなったように感じました。
音そのものがもつヒステリックで破綻した感じが、まるで演奏者のそれであるかのようにも聞こえます。
H.J.リムがベートーヴェンの録音にCFXを使った意味はわかるような気がします。
いかにも先端的で多感な彼女のピアニズムには、いわゆるドイツ系のピアノよりはヤマハのような新しい感性で作られたピアノのほうが相応しいだろうというのは理解できるところです。
とりわけ軽さとスピード感はヤマハの優秀なアクションだけが達成できる領域かもしれません。
というわけで、このところのいろいろな演奏を聴いて、CFXの弱点も少し露見してきたように感じているところです。はじめは感心したメゾフォルテまでの美しさにくらべて、フォルテ以上になるといきなりアゴをだしてしまうのはいかにも情けない。さらに言うと、その美しさには憂いとか陰翳がなく、いかにも単調でイージーな美しさであることがやや気にかかります。
ここまで高性能なピアノを作ったからには、却ってあと一歩の深さ豊かさがないところが悔やまれます。
今の状態では、俗に言う「大きな小型ピアノ」の域を出ないという印象ということになるでしょうか。
このCDのレーベルはEMIですが録音はなかなかよかったと思います。
すくなくと駄作続きのDECCAなんかにくらべると、まったく次元の異なるクオリティを有していると思いますし、それだけに演奏の新の魅力や価値、ピアノの性能などもよく聞き取ることができたように思います。