先週末はフランス車のクラブミーティングがあってこれに参加しましたが、この日はとくに同一車種が集合するというテーマが設けられ、とくに該当する車種だけでも5台が集まりました。
さて、同一車種が5台とは云っても、実は1台として同じ仕様はなく、エンジン、ボディ形状、サスペンション、A/T、生産時期などがすべて異なり、各車のテストドライブではそれぞれの違いが体感できて、貴重な体験となりました。
クルマ好きが集まっての「車前会議」が思う様できて、なおかつ自由に試乗もできる環境ということで、昔からしばしば利用している福岡市西区の大きな運動公園の駐車場が今回も会場となりました。
ここは広大な敷地があって、出入り自由な駐車場も第3まである余裕の施設で、おまけに駐車場は美しい芝生になっているので、このような目的には恰好の場所となっています。
同一車種であるために、5台の基本的な成り立ちはもちろん共通していますが、上記のような仕様の違いは車にとって無視できない違いを生み出しており、一長一短、それぞれに個性があって、こんなにも違うものかと思いました。
なんとなく、これはピアノにも共通していると思われることでした。
基本が同じ設計のピアノでも、材質や使われるパーツの仕様、技術者の違い、管理の仕方によってほとんど別物といっていい差異が生じるのは、むしろ車どころではないという気もします。
とくにピアノで大きいのは技術者の技量と仕事に対する姿勢、そして管理による優劣だろうと考えられます。
ピアノは車のような純然たる工業製品でなく、楽器というデリケートかつ曖昧な植物のような部分を多く内包しているため、技術者の技術力とセンスに多くを委ねられているわけです。
車や電気製品なら機能も明確で、故障や不調は明瞭な現象としてあらわれますが、ピアノのコンディションはきわめて微妙な領域で、判断そのものからして専門的になるので、どこからを好ましからざる状況だと判断するかは価値観によるところもあって大変難しいところといえるでしょう。
好調不調のみならず、そこには好みの問題も加味され、これを受け止めつつ常時ある一定の好ましさに維持するのは、もっぱら技術者の腕ということになりますし、どこまで要求し納得するかは使い手の精妙なるセンサーに頼るしかありません。
さらには、いかに使い手が一定の要求をしても、一向にそれを解さず、あるいは面倒臭がって仕事として着手しない技術者が少なくないのも現実ですし、逆にそういう領域にまで踏み込んだ高度な調整を施しても、まったくその価値に鈍感な使い手もいたりと、このあたりがピアノという楽器のもつ難しさなのかもしれないという気がしてしまいます。
車ぐらいの分かりやすさがあれば、必然的にもっと素晴らしいピアノの数も増えることだろうと思います。