ストラディヴァリやグァルネリのようなクレモナの由緒あるオールドヴァイオリンには、それぞれに来歴やかつての所有者にちなんださまざまな名前が付いています。
そのうちの一挺である「メシア」は数あるストラディヴァリウスの中でも、ひときわ有名な楽器で、それは300年もの年月をほとんど使い込まれることもなく、現在もほぼ作られた当時のような新品に近い状態にある貴重なストラディヴァリウスとして世界的にその名と存在を轟かせています。
「メシア」の存在は少しでもヴァイオリンに興味のある人なら、まず大抵はご存じの方が多いと思われますし、マロニエ君ももちろんその存在や写真などではお馴染みのヴァイオリンでした。
現在もイギリスの博物館の所有で、依然として演奏されることもなくその美しい状態を保っているようですが、その美しさと引き換えに現在も沈黙を守っているわけで、まずその音色を聴いた人はいないといういわく付きのヴァイオリンです。
高橋博志著の『バイオリンの謎──迷宮への誘い』を読んでいると思いがけないことが書かれていました。それは「メシア」という名前の由来についてでした。
19世紀のイタリアの楽器商であるルイジ・タシリオはこの美しいストラディヴァリウスの存在を知って、当時の所有者でヴァイオリンのコレクターでもあったサラブーエ伯爵に直談判して、ついにこの楽器を買い取ることに成功します。
普段はパリやロンドンで楽器を売り歩くタシリオですが、この楽器ばかりは決して売らないばかりか、人に見せることすらしなかったそうです。自慢話ばかりを聞かされた友人が「君のヴァイオリンはメシア(救世主)のようだ。常に待ち望まれているが、決して現れない。」と皮肉ったことが、この名の由来なんだそうです。
あの有名な「メシア」はそういうわけで付いた名前かということを知って、ただただ、へええと思ってしまいました。
ピアノはヴァイオリンのような謎めいた楽器ではありませんけれども、古いヴィンテージピアノなどには、このような一台ごとの名前をつけると、それはそれで面白いかもしれないと思います。
そう考えると、自分のピアノにもなにかそれらしき根拠を探し出して、いかにもそれらしき名前をつけるのも一興ではという気がしてしまいました。自分のピアノにどんな名前をつけようと何と呼ぼうと、それはこっちの勝手というものですからね!
巷ではスタインウェイを「うちのスタちゃん」などと云うのが流行っているそうですが、せっかくならもうちょっと踏み込んだ、雰囲気のある個性的な名前を考えてやったほうが個々の楽器には相応しいような気もします。
名前というのは不思議なもので、モノにも名前をつけることでぐっと親密感が増し、いかにも自分だけの所有物という気分が高まるものです。こういうことは度を超すとたちまちヘンタイ的ですが、まあ、ひとつふたつの楽器に名前をつけるくらいなら罪もないはずです。
みなさんも気が向いたらピアノに素敵な名前をつけてみられたらどうでしょう?