2つのオペラ

このところテレビ放映されたオペラを2つ観ました。
…正確には1つとちょっとと云うべきかもしれません。

ひとつはボリショイ劇場で上演されたグリンカのオペラ『ルスランとリュドミラ』。
序曲ばかり有名なわりには、一度も本編を観たことがなかったのでこれはいい機会と思って見始めたところ、どうしようもなく自分の好みとは相容れないものが強烈だったために、全体で4時間に迫るオペラの、わずか30分を観ただけで放擲してしまいました。

これでもかとばかりのくどすぎる豪華な舞台には優雅さの気配もなく、音楽もなんの喜びも感じられないもので、とりあえずDVDには録画して、いつかそのうちまた…という状態にはしたものの、たぶん観ることはないでしょう。
ちなみに開始前の解説によると、初演に臨席したロシア皇帝ニコライ一世もこの作品が気に入らず、途中退席してしまった由で、いかにもと思いました。

いっぽう、6年という期間をかけて全面改修成ったボリショイ劇場ですが、建造物はともかくとして、新たにスタートした新しい舞台の数々には共通したものがあって、これがどうしようもなくマロニエ君の趣味ではありません。

以前も同劇場の新しい『眠りの森の美女』をやっていましたが、このルスランとリュドミラと同様の違和感を感じました。とくにやみくもに豪華絢爛を狙い、深みや落ち着きといったもののかけらもないド派手な装置や衣装は、目が疲れ、神経に障ります。新しいということを何か履き違えている気がしてなりません。

もうひとつはフランスのエクサン・プロバンス音楽祭2011で収録された『椿姫』でした。
マロニエ君は実はこの演目の名を見ただけで、あまりにもベタなオペラすぎて観る気がしないところですが、エクサン・プロバンスという名前にやや惹かれてつい観てしまいました。

というのもこのオペラの有名なアリア「プロヴァンスの海と陸」の、そのプロバンスで上演された椿姫ということになるわけですね。椿姫の恋人であるアルフレードはプロバンスの出身という設定で、第2幕ではヴィオレッタとの愛に溺れた生活を送る息子を取り返しに来たアルフレードの父親が、故郷を思い出せという諭しの意味を込めながらこの叙情的な美しいアリアを歌います。
あらためて聴いてみると、しかしこのアリアはやはり泣かせる名曲だと思いましたが、椿姫そのものが、全編にわたって名曲のぎっしり詰まった詰め合わせのようだと思わずにはいられませんでした。

ナタリー・デセイの椿姫、アルフレードはチャールズ・カストロノーヴォと現在のスター歌手が揃います。さらにはアルフレードの父親はフランスの名歌手リュドヴィク・テジエ、しかもフランスで上演されるオペラなのにオーケストラはなぜかロンドン交響楽団というものでした。

ジャン・フランソア・シヴァディエによる演出は、ご多分に漏れず舞台設定を現代に置き換えた簡略なもので、マロニエ君はこの手のオペラ演出を余り好みません。
やはり筋立てや出演者のキャラクターが、現代にそのまま置き換えるには随所に齟齬を生み、違和感があり、説得力がないからで、それは音楽においても舞台上の進行との密接感が損なわれるからです。

このような現代仕立ての演出の裏には、伝統的なクラシックな舞台を作り上げるためのコストの問題があるらしく、非日常の享楽であるべきオペラの世界までもコストダウンかと思います。

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