転勤

世に言う「転勤」というものは、友人知人を通じて身近に接してみると、やはりなかなか厳しいものだなあというのが率直な印象です。
なにしろ行き先もその時期も、自分の意志とは無関係に事は決していくのですから大変であり苛酷です。

ごく最近も親しい友人が東京勤務を命じられ、長年住み慣れた土地を離れることを余儀なくされて、先日お別れ会というほどではないけれども食事などを共にしました。
なんでも、来月の上旬には新しい職場に出社していなくてはならないそうで、この間わずか一ヶ月ほどという慌ただしさですが、それでも内々に教えてくれた上司のお陰で通常よりも早くその事を知り得たのだそうで、本来ならわずか2週間ほどしかないとか。あらためてすごいなあと思いました。

電力会社に勤めている別の友人も、昨年の震災からほどない時期の東京へ移動を命じられて大変驚いたものでした。あまつさえ彼は自宅を新築している最中で、その竣工を待たずして妻子を残して単身上京の運びとなりました。
しばしば帰省しているようではありますが、せっかくの新居ができて早一年が経つというのに、まだまとまった時間をその家で過ごしたこともないらしく、もうしばらくは帰れそうにないというのですから、なんとも気の毒な気分になります。

マロニエ君は職業柄、サラリーマンではないので転勤という上からのお達しによって、突如まったく違う土地へ有無を云わさず引っ越しをさせられるといった事がないために、自分の経験としてその感覚がわかりません。
準備期間らしきものはほとんどなく、しかも命令は絶対でしょうから、まさに生活そのものを竜巻にでも持ち去られるごとくで、それまで築き上げた本人や家族のさまざまな人間関係まで、一気にむしり取られてしまうのは、考えれば考えるほど苛酷なものだと感じます。

今どきは、事柄においては異常な程、さまざまな人の権利が声高に叫ばれる時代になりましたが、どうもこの転勤という社会の慣習だけは一向に変化の兆しがないようです。

そういう意味では、保守的で前時代的でもあり、自らの意志によって一箇所に安定して深く根を下ろした生活を営んでいくことは現実的にできないことでしょうし、サラリーマンになるということは、それを含めた覚悟までがセットのようなものだろうと思います。転勤に関しては昔の武士がいつでも腹を切るがごとく、日頃から転勤命令を想定しておく必要があるのでしょう。

ついでながら、転勤事情にまるきり無知なマロニエ君にしてみれば、とくに根拠もなく、転勤といえば春秋の一定期間におこなわれる事で、とりあえずその時期を過ぎればまた半年はその心配(もしくは希望?)がないものと思っていましたが、これら友人の状況を見ても明白なように、彼らはいずれもいかにも中途半端な時期に移動を命じられているわけで、これは要するにいつ転勤を言い渡されるかは、年がら年中いつでもその可能性があるということらしいというのがわかりました。

慣例に従えば、2、3年でまた移動になる可能性もあるということで、こちらに復帰することもあるでしょうから、それまでしばしのお別れです。

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