昨日書いた音楽雑誌ですが、なにかこう…かすかに無常感を覚えるものとして繋がっていくことに、そのグラビアに見るウェイルホールのスタインウェイにもその要素を発見しました。
件の邦人のニューヨークでのリサイタルでは、ご当地のニューヨーク・スタインウェイが使われたようで、新しいモデルのようですが、なんとニューヨーク製の特徴である凝ったディテールのデザインにも、さらなる簡略化が進んでいました。
もはや、かつての威厳は感じられず、なんとなくしまりのないのっぺりした印象でした。
戦前のモデルに較べると、基本は同じなのに、その時代毎に装飾的なラインやデザインの大事な部分がだんだんに姿を消して行き、現在ではもうほとんどボストンピアノに近い感じにまで細部が省略されて、すっかりドライなデザインになってしまったようです。
むろん、ピアノは外観ではなく、音が勝負というのはわかっていますが、これほどはっきりとコストダウンの証を見せられると、音に関する部分だけは「昔通り」なんて夢見たいなことはとても思えません。
尤も、今はホロヴィッツやグールドのような超大物がいるわけでもなく、コンサートの世界も大衆化・平均化が進んだことも事実。それに呼応するように楽器であるピアノもかつてのような「特別」なものである必要はなく、製造・販売のビジネスが成り立つことこそが大儀であり、要するに商品としてはその程度で良いという企業判断と解釈すべきなのかもしれません。
まあそれが仮に正解だとするならば、なんとも虚しい現実なわけで、願わくは思い過ごしであってほしいものです。
その点に関しては、まだなんとか見た目の面目を保っているのはハンブルクです。
ハンブルクのほうは少なくとも外見上は、それほどの簡略化は今のところ見られませんが、内容に関しては風の噂では相当厳しいコストダウンの実体を耳にしますし、にもかかわらず最近ではアメリカのコンサートでも、以前とは比較にならないほどハンブルク製が使われることが多くなっており、そのあたり、一体どういう事情なのかと思ってしまいます。
米独両所のスタインウェイは、パーツに関しても以前より共通品がかなり増えたとも聞きますし、近年はついにハンブルクも響板にアラスカ産のスプルースを使うようになったらしく、ニューヨークは伝統のラッカー&ヘアライン仕上げの他に、黒の艶だし仕上げのピアノもかなり作っているようで、そこまで互いにおなじことをするのなら、そのうち製品統合でもするんじゃないかと思います。
来年は奇しくもスタインウェイ社の創業160年周年でもありますが、一台のピアノを作り上げるのに切り詰められた合理化やコスト削減は、おそらく歴史上最も厳しい時代ではないかとも思います。
まあ、要するに、金に糸目を付けないというのは極端としても、こだわりをもった製作者の良心の塊のような優れた楽器造りなどというものは、今のご時世にあってはほとんど夢まぼろしに等しいということなのかもしれません。
厳しい条件や限られたコストの中から、いかに割り切って、精一杯のものを作り出すかが現代の生産現場の最大のテーマなのだろうと思われますが、文化にとっては実に貧しい時代というわけです。