人気テレビ番組に『たかじんのそこまで言って委員会』というのがありますが、これはテレビ嫌いのマロニエ君にしては珍しくよく見る番組です。
この番組の魅力は、折々の時事問題が話のテーマとなって、おなじみの論客達による歯に衣きせぬトークが聞かれるところにあり、さらには大阪発のこの番組は、やしきたかじん氏の意向によって、これだけの全国的な人気番組にもかかわらず「東京では放送しない」という拘りが守られているのも痛快なところです。
元を辿れば東京の出身でもない、現在の東京を構成する多くの人々が、なにかというと東京の威を借りて、ここがすべての中心だと思い込んでいる中で、今や永田町にさえ多大な影響を与えているといわれるたかじん委員会、例の橋下さんもこの番組の出身であるそれが、すべての中心であり発信地であるはずの東京にあからさまに背を向けているというのは、それだけでもユニークです。
むろん公共放送であるかぎり完全な放言の場ではありませんが、かなり辛辣できわどい意見が飛び交うのは毎度のことで、およそ他局や他の番組では不可能と思われる領域をぎりぎりまで攻めていくのは、こんな時代にあってささやかでも溜飲が下がることしばしばです。
そんな中でもなにかと過激な発言を連発する勝谷誠彦氏が、過日の放送で主に次のような発言をしました。
「私は現在でもテロやクーデターは必要だと思っています。ただしそれは武器や暴力によるものではない。現代の最も腐っているものは言論である。その言論界にクーデターを起こす必要があり、そのツールはウェブであって、だから自分は毎日のようにテロ行為をやっている。」
これは彼独特な過激なスパイスを効かせた偽悪的な言い回しであって、テロやクーデターという言葉にはさすがに抵抗を覚えますが、しかしそれでも、彼の言わんとしている意味は大いに頷けました。
もう少し礼節と勇気をもって、自分の考えがごく自然に発言できる本当の意味での健全な世の中になってほしいものですし、それにはまずその道の本職である筈のマスコミに先陣を切って欲しいと思います。
言論が腐るということは、民主主義が腐り、すなわち人間が腐るということを意味しているでしょう。
昨日も永田町はひとつの山場を通過したようですが、見たくもない顔ぶれがデジタル放送の鮮明画像によって映し出され、腰の引けた解説やコメントが流れるだけで、そこに「言論」らしきものは不在です。