オールソン&尾高

ずいぶん久しぶりにギャリック・オールソンの演奏を映像で見ました。

先日放送されたBSのオーケストラライブでのN響定期公演で、ショパンのピアノ協奏曲の2番を弾いていましたが、ステージに現れたオールソンはもうすっかりおじいさんになっていて月日の流れを感じます。

演奏はいかにも手の内に入ったベテランのそれという印象で、ショパンコンクールに優勝したときから早40年以上が経過しており、彼の身体がショパンの演奏を覚え込んでいるといったように見えました。

まったく自己顕示欲のない、とても誠実な演奏でその点は感服しますが、惜しむらくはコンサートピアニストとしての存在感や華がないことでしょう。それでも、この世代のアメリカ人としてはよくぞここまでショパンの音楽に真摯なスタンスで己を捧げてきたものだと思います。
普通なら、ショパンコンクールにアメリカ人として初めて優勝し、それ以降のキャリアを積み上げるとなれば、もう少し華やかなピアニストを目指して喝采を得ることはいくらでもできただろうと思いますが、決してその道には進まず、節度をもった、良心的な活動一筋に努めてきたことには、人間的に敬意を払いたいところです。

尤もそれがオールソンの信念によって厳しく選び取られた結果だったのか、それともそういう道を進むことのほうが性に合っていたから自然にそうなったのか、そこのところはわかりませんが。

今回、オールソンの姿に接してみてあらためて思ったのは、大変な偉丈夫だということで、この点はまぎれもないアメリカ人だと思わずにはいられません。身長も高く恰幅も大変立派で、そのいかにも優しげな表情と相俟ってまるでサンタクロースのように見えました。彼を前にすると、ピアノもどことなく小さくなったようで、なんとなく身をかがめるようにして弾いているのが印象的でした。

ショパンの音楽を彼なりの細やかさでひじょうに注意深く、さらにはこの体格から来るところもあると思うのですが、常に遠慮がちに弾いているという風に見えました。音もその体格から期待されるような太く逞しいものではなくて、むしろ肉付きのない、さっぱりした音色だったことが少し気にかかりました。

全体にはこの人なりの首尾一貫したものがあって、安心して聴いていられるものでしたが、強いて云うならあまりにもおとなしくて善良すぎるきらいがあり、ショパンにはもう少し洗練や洒落っ気やエゴが欲しいものだと思いました。


指揮はN響の正指揮者である尾高忠明氏でしたが、これが思いがけずなかなかの演奏で驚きました。
普通なら、ピアノ協奏曲の中でも、とりわけオーケストレーションの脆弱さを指摘されるショパン、しかもより詩的な2番とくればオーケストラは大半において甘美に歌うピアノの伴奏をやっているだけといったところですが、そんなオーケストラがハッとするほど美しく、しかも聴いていて自分の好みにごく近いもので、やわらかでメリハリがあり、潤った感じに鳴り響いたのはまったく意外でした。

オーケストラはいつもと変わらぬN響ですから、これはひとえに尾高氏の音楽性とセンスの良さに負うものだと思う他はありません。告白するなら、オールソンのピアノもそこそこにオーケストラについ耳を傾けてしまうことしばしばで、ショパンのピアノ協奏曲でオーケストラのほうを有り難く聴いたというのは初めての経験だったように思います。
この美しいオーケストラに支えられて、オールソンもさぞ満足だっただろうと思います。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です