ピニンファリーナ

世界的な自動車デザイナーの大御所であるセルジオ・ピニンファリーナ氏がトリノの自宅で亡くなったそうです。1926年の生まれで享年85歳。

ジウジアーロやベルトーネなど、造形の国イタリアには、数々の自動車デザイナーの巨匠が綺羅星のようにいましたが、そんな中でもピニンファリーナは傑出した存在だったと思います。

その斬新な造形には、モティーフの中に古典的な優雅の要素が息づいており、気品と官能性が結びつき、それが見る者の心を鷲づかみにしていたと思います。

ピニンファリーナのデザインには、きっぱりとした完成された独自の存在感と情感が脈々と流れ、ただの奇抜な挑戦的なデザインとは常に一線を画する孤高の美しさがありました。簡潔だけれども蠱惑的で優美なラインがあって、見る者を虜にし、しかもまったく飽きのこない普遍的な美しさを湛えた造形。それが自動車という機械を命ある有機的な存在へと高めることに、彼ほど貢献した人はいないようにも思います。

自動車という枠を逸脱するようなデザイナーの思い上がりでなしに、まるでモーツァルトのように最良最適の美しさを作り出したその才能と手腕は、まったく芸術家のそれに劣るものではなかったと思います。

マロニエ君も過去に何台かピニンファリーナのデザインによる車を所有したことがありますが、そこには必ずメーカーや車名などのエンブレムとは別に、ピニンファリーナの優雅な書体によるエンブレムが付けられていていて、それがまたマニア心を甚だしくくすぐる要素でした。
洗車してワックスをかけるにも、それがピニンファリーナのボディともなれば、いやが上にも熱が入ったのはいうまでもありません。

デザインがピニンファリーナであることは、ときにその車のメーカーの価値と比肩されるほどに尊ばれる場合も珍しいことではなく、オーナーはそれが車であると同時に、作品であり芸術品であるということを諒解しており、それは並々ならぬプライドと満足にもなりました。

今のデザイナーでこれほどの格別の想いと満足を個々のオーナーに与えて撒き散らすことのできる人がいるかといえば、残念ながらそれは見あたりません。
音楽を含む他のジャンルと同様、自動車デザインの世界も全体の組織レベルは途方もなく大きくなっているようですが、個人のデザイナーで芸術家に匹敵するような世界的大物はいなくなり、とりわけ若い人でそういう位置を受け継ぐような人は出てきていないようです。

セルジオ自身が二代目だった思いますが、さらに息子達が事業を引き継いで、大きなデザインメーカーになり、その後はどうなっているかは知りませんが、時代も変わり、おそらくセルジオの功績によるブランド会社になったのかもしれません。

天才級の煌めくような大物がいなくなり、効率や平均値が上がるばかりの世の中というのは、どうしようもなくつまらないものです。
個々の製品は素晴らしくても、心からわくわくしたり真の感銘を受けるようなことは…もうないようです。

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