ネルソン・フレイレの弾くショパンのノクターン全集の評判がいいようなので聴いてみました。
2009年12月に録音された2枚組CDで、レーベルはデッカ。
とくにハッとするような何かはないけれど、なるほどどれもがよく錬られた誠実な演奏で、趣味も悪くないし、どこにも嫌なところのない好ましい演奏だと思いました。
とくに自分の主張は二の次で、ひたすら作品に献身している姿は印象的です。
この人はいまさら云うまでもなくブラジル出身の世界的ピアニストで、その信頼性の高い深みのある演奏には以前から定評がありました。それでも若い頃はもう少しはラテン的というか、ときには激しいところもあったように記憶しますが、近年はいよいよ円熟を深めているようです。もともと音楽優先で自己顕示性の少ないピアニストでしたが、その度合いをいよいよ増しているようで、決して作品の姿を崩さず、さすがと思わせられるところが随所にあります。
南米出身でありながら、ヨーロッパの音楽にこれほどまでに正面からひたむきに取り組むピアニストとして思い出されるのはアラウですが、彼らはヨーロッパの生まれでないぶん、よけいに虚心な気持ちで数々の偉大な作品に畏敬の念を覚えながら好ましい解釈を求めて演奏に取り組むのかもしれません。
フレイレを聴いていつもながら見事だと思うのは、まさに練り上げられた大人の演奏に終始する点で、ときに演奏家の存在感さえも見えなくなるほどです。
昔から感じていることで唯一残念なのは、あと一歩というところの華がないというところでしょうか。
これだけの素晴らしい演奏をしていながら、もうひとつフレイレでなくてはならないという積極的な理由が稀薄な点が、裏返しの特徴なのかもしれません。
もちろん、ここでいう華というのはうわべの派手さという意味ではなく、一人のピアニストとしての存在感とでもいえるかもしれませんが…それは欲というものでしょう。あまたのピアニストの中でこれほど誠実な演奏をする人が今円熟の真っ只中にいることをなにより尊重したいというのがマロニエ君の素直な気持ちです。
このCDに関して特筆すべき残念な点は、やはり最近のデッカ特有のまったく理解に苦しむ音質だったことです。トリフォノフのショパン、プラッツのライヴ、ウー・パイクのベートーヴェンなどすべてに共通した、広がりのない詰まったような音、中音域は衝撃音が突き刺さって来るような不快なあの音だったことは、この美演の真価を何割も割り引いてしまっていると思うと、甚だ残念で仕方がありません。
プロデューサーの名前などを調べると、必ずしも同一人物ではないにもかかわらず、出来上がった音にこれだけの著しい共通点があるということは、よほどデッカではこれを良しとしているのかと、その不可解な疑問はいよいよ深まるばかりです。
しかし、いずれにしてもこれだけ音質に落胆させられることが明瞭にわかってくると、今後はデッカのCDは極力避けるしかないということでしょうか…。
本当に気の毒なのは、優れた演奏をしているこのレーベルのピアニスト達です!