速読はエライ?

週末の昼間だったか、なにげなくテレビをつけてみると、ある女優さんが数人のアナウンサーらしき人達に囲まれて話をするというスタイルの番組をやっていました。

すると、同じドラマで共演する別の女優さんからメッセージのような映像が流され、そこで「○○さんは雑学にとても詳しくて撮影の合間などにいつもいろいろ教えていただいてます」というようなことが語られました。

それがきっかけとなって、スタジオではこの女優さんは雑学知識が豊富だということに話題が転じて、実は大変な読書家だということが視聴者に紹介されました。
読書家というのは大変結構なことで、今どき感心な人だなぁとはじめは思いました。

そもそも読書家になったきっかけというのが、優秀なきょうだいの末っ子であったらしい彼女は、少しでもなにかの知識を披瀝することで自分を主張し、いわば出来の良いきょうだいをやっつけるために、知識の情報源としてあれこれの本を読み出したのだそうです。

ちょっと変な動機だなとは思いましたが、それは子供の時分のことではあるし、たとえどのようなきっかけからであろうと、本をよく読むようになるというのは素晴らしいことだと、この時点ではまだマロニエ君は好意的に捉えていました。

ところが、だんだん話は思わぬ方向へ向かい始めます。
この女優さんは大人になってからも読書家であることは変わらず、司会者の手許には事前の情報があるのか、今でも相当お読みになるんでしょう?というようなことを話しかけながら、童話に至るまでのあれこれの本をひと月に200冊ぐらい読まれるそうですね、というと、なんとなくその場にどよめきが起こりました。

その女優さんは、謙虚そうに「いえいえ、今は忙しいのでそこまでは…」といいつつも、大筋は否定せず、時間さえあればそれぐらいのペースで読めますよということを暗に匂わせました。
すると、その場にいた数名はいかにも感心した態度を露わにし、かたわらにいた女性が話を引き取って「だいたい、読書家の人って、読むのが早いんですよねぇ…」と、本は早く、たくさん読むことが価値であるかのように、この女優さんの速読の能力を褒めちぎりました。

以前にも、別の番組でこちらは男性のコメンテイターでしたが、やはり一日に本を4、5冊ぐらい読んでいるというようなことをさも誇らしげに言っていたのを思い出しますし、書店に行くと速読ができるようになるためのHow to本が何冊も集められているコーナーを見た覚えもあります。

でも、マロニエ君から見ると、本を読むのに速読なんて基本的な読書の姿勢として価値があるとは到底思えません。現代人は何をするにも忙しくて、時間がなくて、本を読むにもスピードが必要ということなのか、理由はどうだかしりませんが、本を読むのさえそんなに急がなくてはいけないものかと思います。

とりわけ文学書を速読なんぞしようものなら、その人の教養さえも疑いたくなります。
作家の書いた文章をゆっくりと味わい、しばしその世界に身を委ねることがマロニエ君にとっての読書です。
いってみれば、本は読みたいから読むのであって、その結果として言葉や、知識や、思想や、その他の文化意識が身に付いてくるものだと思っていましたが、はじめから情報収集のために目的を絞って速読でむやみにあれこれの本を読み漁って、それで私は読書家でございますと言われても、それはまったく別の次元の話のようにしか聞こえません。

それでも、今どきは、こういう人が一般的には有能な勉強家ということになるのかもしれませんが、なんとなく寂しい気がします。

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