わりに最近出た本ですが、スーザン・トムズ著『静けさの中から〜ピアニストの四季』を読みました。
スーザン・トムズはイギリスのピアニストでありながら、すでに何冊かの本を出版するほどの文筆家としての顔も持っているようです。
女性として初めてケンブリッジ大学キングス・カレッジに学んだというインテリだそうで、またピアニストとしても極めて高い評価を得ているらしく、ソロのほか、フロレスタン・トリオのメンバーとしても多忙な演奏活動をおこなっているそうです。CDも室内楽などでかなりの数が出ているとのことですが、残念ながらマロニエ君はまだこの人のピアノを聴いたことはありません。
ピアニストにして文筆家といえば、日本では青柳いづみこさんをまっ先に思い出しますが、世の中には大変な能力の持ち主というのがいるもので、どちらかひとつでも通常なかなか出来ないことを、ふたつながら高い次元でやってのける人間がいるということが驚きです。
この本は、いわゆる随筆で、彼女が日々の生活や演奏旅行の折々に書きためられたものが本として出版されたものですが、その内容の面白いこと、強く共感すること、教えられることが満載で、大いに満足でしたが、もうひとつびっくりしたのが翻訳の素晴らしさでした。
訳者はなんとロンドン在住の日本人ピアニスト、小川典子さんで、彼女がこの本を読んでいたく感銘を受け、すぐに自分が翻訳をしたい!という気持ちになったといいます。
この衝動から、すぐにスーザン女史にその旨を申し出たのだそうで、めでたく諒解が得られ、日本語版の出版への運びとなり、やがてそれが書店に並んで、現在の我々の手に届くようになったということです。
ピアニストとしての小川典子さんはマロニエ君は実は良く知りません。CDも棚を探せばたしか1、2枚はあったと思いますし、リサイタルにも一度行きましたが、とくにどうというほどの印象はありませんでした。
しかし、この本の文章の素晴らしさに触れることで、こちらの側から小川さんの人並み外れた能力を見た気がしました。
なによりそこに綴られた日本語は、力まずして雄弁、適切な語彙、自然なリズムを伴いながら、どこにも不自然なところがないまま、もとが英語で書かれたものであることを忘れさせてしまうような、心地よい品位のある文章で、頗る快適に、楽しんで読み終えることだできました。
以前、このブログで、技術系の専門書で、愚直すぎて読みにくい翻訳文のことを書いたことがありましたが、まさしくそれとは正反対にある、活き活きとした流れるような日本語での訳文に触れることができたのは、望外の驚きでした。
小川さんによる巻末のあとがきによれば、彼女の翻訳作業には、もうひとり春秋社のプロによる編集の手を経ていたのだそうで、やはりそれだけの手間暇をかけなくては本当に淀みのない美しい文章は生まれないということを痛感しました。
もちろん原文を綴ったスーザン・トムズ女史のずば抜けた頭脳と感性、小川さんの広い意味での語学力があってのことではありますが、さらに編集によって丁寧に磨かれることで、ようやくこの本ができあがったのだということをしみじみと思うのです。
あたかも、ピアノが優秀な技術者の手をかけられればかけられるだけ素晴らしくなっていくように。